訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2009-07-06

親父の一番短い日

帰国日には空港へ次女を呼び出した。
この日は時差の関係で一日が22時間になり、十分に睡眠時間をとれない。
翌日からの仕事を考えると、あまり動き回って体力を消耗したくないので、待ち合わせの5時間前には空港入りし、本を読みながら静かに待つ。
少し早くに現れた次女に後ろから肩を叩かれて再会、食事をしながら話をしようと、空港内の食堂に入る。

昨年ここで会ったときには、結婚を考えている相手がいるといっていた。
「あれからどうした? もう結婚したのか?」
「はい。いや、まだです」
「ん? どっちなの?」
「来週の30日にします」
「えーーっ!」

毎年、6月と7月をまたいで会いに来ているので、僕の滞在中に式を挙げるつもりだったらしい。
今年に限り仕事の都合で1週間早めたのが裏目に出たのだ。
あーっ、悔しい。
娘の結婚式で「瀬戸の花嫁」をタイ語で熱唱するのが長年の夢だったのに、またもその機会を逃してしまった。
それも自分から。

「で、その彼氏をなんで連れて来ないんだよ」
「この時間は、まだ仕事です」
「そうか。ま、連れてこなくてよかったかもね。もし、ここに来てたらぶん殴ってたよ」
「どうしてですか?」
「大事な娘を奪っていく奴だからだよ」
「フフフ」

ともあれ、相手の男がどんな奴かは非常に気になる。
写真はあるかと聞いても無いと答える。
「嘘つくんじゃない、ケータイ出してみな」
残念ながら、次女のケータイは超旧式で、カメラ機能も待ち受け画面もついてなかった。
相手の年は30だというが、次女ももう25だから、ま、不釣合いってことはないか。

「でも、本当は、一緒にお父さんに会いに来ることにしてたんですよ」
「それならどうして来ないの?」
「お父さんがランプーンで、私のお母さんに、日本に帰るのは明日だって言ったんですよ。お母さんが連絡してきたから、そのつもりで明日の仕事を休んで待っていたのに」
しまったーーーっ!
ランプーンの次女の実家で帰国日を聞かれたとき、確かに適当に答えた覚えがある。
筆談につかったメモ帳には、確かに「25」という数字が書いてあるし。
一日まちがって教えたのも、すべて自分のせいである。

「ごめんね、ごめんね。彼にもよーく謝っておいてくれる? くれぐれもよろしく言っといてね」
繰り返し頭を下げて謝るしかなく、ぶん殴るどころか、会う前から娘婿に負い目をつくってタイをあとにしたのだった。

2009-07-02

あなたに贈る 感謝状

タイから帰ってきたら、プランから手紙が来ていた。
長期スポンサーへの感謝状とある。
どうやら、10年超のスポンサーに送ったらしい。
申し訳ないが、これは嬉しいと思うよりも、逆に引いてしまった。

そもそも感謝状というからには、なんらかの「特別な」貢献をした人に出すべきである。
たとえば、僕が今度の宝くじの当選金3億円の使い道に困って、うち1億円をプランに寄付したのだとする。
その場合は、プランはちゃんとした感謝状を用意するべきだし、僕もそれを謹んで受領せねばならない。

でもね、僕はプランのスポンサーなわけで、つまりはプラン・ジャパンのメンバー、身内なわけである。
なんで身内から「上から目線」の感謝状をもらわにゃならんのか?
あるいは、10年、20年の節目ごとにもらったのなら、それはそれで、10年になった、20年になったと、スポンサーとしての自覚を思い直すきっかけになるかもしれない。
ところが、今回、初めて、かつ一括である。

プランは組織が大きいことの一つの弊害として、スポンサーを外部の者とみているようなところがある。
金の流れでみれば、
(スポンサー)->(プラン)->(チャイルド)という構造である。
しかし、支援の実態は、
(プラン&スポンサー)->(プラン&チャイルド)ではなかったのか?
プラン・ジャパンの会長・理事長も、一般職員も、個々のスポンサーも、同じ目的のためにがんばってるはず。
現地でも、プランのスタッフはコミュニティの家族らと「一緒に」なって開発活動しているはずである。
今回、長年理事を務めた人とか、職員に対しても「感謝状」ってのが出たのだろうか?
もしそうなら、それはそれで笑っちゃうが、スポンサーだけが切り離されたのでは、むしろ寂しく思えてしまうのだ。

スポンサーに対して不信感を持ってるかのごとくに、やたら誓約書を書かせたり、検閲ともいえるほどホームページやブログをチェックしたりっていうのも、万々一の不祥事を防ぐためということで理解できないわけではないのだが、まずはスポンサーをもっと身内意識を持って見るべきだ。
不祥事には個別に対応すればよいのである。

おそらく、プランも25年を過ぎ、初期からのスポンサーにも引退組が増えてきているのであろう。
それを少しでも引き止めるために、感謝状でベテラン・スポンサーを顕彰するという案が出たのだろうと思う。
しかし、プラン本来の趣旨からいえば、年寄りの年金を当てにして収入の維持をはかるというのは本末転倒である。
年配のスポンサーが去っていくなら、そのときにこそ感謝状でもだして送り出し、それ以上に若いスポンサーを増やしていけばよいのである。
プランに必要なのは、若い人が次々と新しく参加したくなるような、意義ある活動であり広報であるはず。
「給料もらうようになったのでプランに参加しました」って聞いたとき、我々年配スポンサーが、どれほど嬉しいかわかってもらえるだろうか?

あとは、チャイルドからの手紙さえ届いていれば、感謝状なんていらないのである。

2009-06-27

彼女の彼は、彼女

あと先を考えないことでは折り紙つきの長女であるが、彼女の家を訪ねたときのカミング・アウトには驚かされた。
まだ再婚しないのかと尋ねたときに、「私はレズビアンだから」と答えたのである。
17,8で結婚して、子供までいるというのに、何をいまさら???
聞けば、男にはもうすっかり愛想をつかしたのだと言う。
どうやら真性ではなく、男とは付き合いたくない、という気持ちから来る逃避行動に思える。

現在、付き合っている相手はバンコクに住んでいるということだが、どんな交際かというと、ただ電話で話すだけなのだそうだ。
一度、会いに来たことがあるそうで、写真を持っていた。
なるほど、ちょっと男っぽい恰好をしてはいるが、確かに女性である。
街のネットカフェで出会い系サイトを使って知り合ったそうだ。
タイの出会い系は、概ねまじめなものも多く、昔の日本なら学習雑誌の文通コーナーみたいなものである。
たまに事件も起きないわけではないが、ま、現段階では、反対したり、意見したりは逆効果であろうから、ここはしっかり理解していることにしておこう。

実は、この4日後には長女の実家にも立ち寄ることになっていた。
「両親には秘密にしておくね」って言ったら、「父さんも母さんも、言うことを聞かない娘に怒ってる」と言う。
ってことは、両親にはすでに告白済みということか??

おそらく、男性への不信感が無くなれば、また考えも変わるはずである。
宝塚にあこがれる女子校生みたいなものだろう、とも思うのだが、考えてみれば、タイの男なんて軽薄とイコールな連中ばかりである。
果たして、長女の目を覚まさせるカッコイイ男が、近い将来に現れるのであろうか?
それはそれで、極めて難しいような気もするのである。

2009-06-16

いま、タイにゆきます

今回でチャイルド訪問も15回目。
その間に、タイは急激な発展と深刻な経済危機、ツナミや旱魃といった天災から、いまだ続いている政治的混乱と、なかなか落ち着くことがないのだが、子供たちの家の貧しさだけは相も変わらず。
毎年この時期には、そろそろ来る頃と思われているのか、突然訪ねても驚かれることもない。
空港から村に向かう道中の景色も、ちょっと変わっただけでも気がつくほど、逆に記憶のまま変わらないでいるところのほうが多い。
気温や匂いといった空気、人々が話すことばや見かける文字など、日本とは大きく違うはずのものも、1年ぶりに出会うと、むしろ懐かしい。
指折り数えた1年間、「やっとまた来た」というよりも、「ようやくまた帰ってきた」という、完全に帰省気分である。
子供たちの家でただ寝転がることが一番の楽しみ、っていうのも、他人には理解し難いと思うが、田舎から出てきて、たまにしか帰省できない人になら分かってもらえるはず。

さて、仕事から帰ってきて、時刻はただ今午前3時になるところであるが、実は旅行の準備がまだできていない。
仕事にある程度のけじめをつけるため連日超過勤務で、とても旅支度まで手が回らなかったわけ。
1時間後には出て行かなければならないが、例によって、徹夜明けで飛行機に乗ることになりそう。
こういったあたりが何度訪チャイしても改善されないのはなんでだろう?

2009-06-12

タイ語手紙文例集

プランジャパンの現地語手紙文例集を訂正する目的で作った文例集が、累積アクセス数2000を超えた。
一度プランのメールで紹介されたときに集中したことはあったが、どうやら最近は検索サイトから紛れ込む人がいるらしい。
「タイ語手紙」で検索すると、結構な上位に表示されるらしいのである。
おそらく、ビジネス文書やラブレターに、タイ語手紙の文例は需要はあるのだろうが、こちらは小さな子供向けに簡単な挨拶程度を書き写すことだけが目的なのだから、多くの人にとっては役に立たないどころか、紛らわしい、迷惑な存在だろう。
プランタイランドは、すでに現地事務所を次々と閉鎖し、あとはチェンライとシーサケートを残すくらい。
すでにタイのチャイルド紹介は、ほとんど新規にはおこなわれていないし、タイのチャイルドを持つスポンサーも激減している。
もはや文例の追加も必要なさそうだし、引き上げたほうがいいのかも、と思いつつ、たまたま立ち寄った人をプランのサイトに誘導できるのなら、と考えないわけでもない。
もっとも、タイにハマった人にとって、タイでの活動を終えつつあるプランは、興味の対象外かもしれないが。

2009-06-05

新章スタート

忙しさにまぎれて書き込みが滞っていたら、いつの間にやら次の訪チャイが目の前に来ていた。
今年はさらに一日短くなった上に、深夜便ではなく午後出国となる。
都合、1日半の短縮というわけで、ますます駆け足の訪問になりそう。
救いは、バンコクの空港がようやく一本化されて、空港間の移動がなくなったこと。
プランからはまだ最終の確認連絡が来ないが、6月16日出国、19日現チャイ訪問の予定。

今回、ちょっと慌てたのが、パスポートの更新だった。
有効期限は今年の9月までだが、タイは6箇月の残存期間を入国の条件にしている。
ってことは、6月の訪タイにはパスポートを新調しなければならない。
まったく新しく作るわけではないので写真だけ持っていけば良いのであるが、旅行前に16000円の出費はイタい。
IC内蔵タイプになったけど、ゴツいページが増えただけで、使い勝手は悪くなったみたい。
このパスポートで、あと10年、タイに行けたらいいなあ。

2009-06-02

帰国(9日目)

次女を空港のタクシー乗り場に連れて行き、行列に並ぶ。
いつもならイライラするところだけど、先頭になったらサヨナラなわけで、できることなら何度でも後ろに並びなおしたい。
その間に何枚か写真を撮り、往復のタクシー代を渡す。
ついに順番が来て車に乗り込み、動き出したタクシーが見えなくなるまで見送った。
車中からずっと手を振っているので、ちょっと恥ずかしいけど、こちらも手を振る。
これで、すべてのスケジュールが終了、あとは日本に帰るだけである。

今回は久しぶりに長女に会え、新しい六女とも面会できた。
唯一、三女に会えなかったのは残念だけど、その息子には土産を渡せたので、まあまあの達成率だと思う。
その後の帰国は順調で、翌日から仕事に復帰。
旅の反省点などを検討しつつ、気持ちはもう、一年後の訪タイ計画に向いているのである。

2009-05-06

次女もビックリ!(9日目)

食事をしながら次女の現在の状況をいろいろ聞きだしてみる。
タイ人は地図を読むのが苦手なので、自分の住んでいる場所を特定することはできなかったが、空港の南のエリアに住んでいることは確からしい。
今の仕事は日系の電子機器メーカーで、携帯電話の組立なんかをやっているそうだ。
驚いたのは次の質問をしたときである。
「誰と住んでる」、と尋ねたのは、多くの場合、家賃節約のために友人と部屋をシェアすることが多いからである。
ところが、その答は「ボーイフレンド」!

冗談ではない。
幼い娘を親に預けて、自分は新しい彼氏と同棲は無いだろう。
もちろん、次女もまだ二十代前半なのだから、恋人がいてもおかしくはない。
しかし、今のありようからすると、娘が邪魔で親に押し付けたとしか見えないではないか。
「小さな娘をどうするつもりか? 父親がいなくて、母親にも捨てられたらかわいそうじゃないか」
すると次女は、近く彼とは結婚するし、結婚したら娘は引きとるつもりだと答えた。
本当か? と何度も念を押した上で、とりあえずはその言葉を信じることにした。
パソコンの画面で見せた娘の写真を本当に寂しそうに眺めていたし、娘のほうも母親の写真を悲しそうに見つめていたと伝えたときは、離れて暮らしていることを後悔しているふうだったから。
念のために、もしそれが嘘だったら承知しないぞと脅しておいて、その件は打ち切ることにした。

「そういえば、ランプーンの家で、妹も見かけなかったけど?」
「あの子も今は恋人と一緒にチェンマイに住んでいます」
妹はまだ17歳のはずである。
この早熟の連鎖が、いつまでたっても貧困から抜け出せない原因だと、どうして気づいてくれないのであろうか?
せめて中流家庭に嫁入りしてくれればよいものを、これが決まって、どっこいどっこいの貧乏野郎とくっつくのである。

2009-04-19

次女再会(9日目)

予定の時刻になっても次女が現れないので、電話をかけた。
といっても、かけた相手は次女本人ではなく、ウドンにいるチャエーである。
直接ではややこしい話ができないため、英語の達者なチャエーに中継してもらうわけ。
しかも僕がヒアリングを苦手としているため、チャエーとは英文のショートメールで会話する。
面倒なようではあるが、会話に神経を集中しないでもすむし、聞きこぼしが無いので非常に楽なのである。

それによると、現在、急な豪雨で空港近辺の交通渋滞がひどくなっているらしい。
確かに通路から空港の外を見ると、いわゆるバケツをひっくり返したような雨である。
タイでは珍しくないが、こんな中では車を進めることができないだろう。
空港の近くに住んでいるといっても、進入路とは反対側。
大きく回りこんで来なければならないから結構な距離になるはずだ。

その後、何回か中継電話を繰り返した後、待ち合わせ場所にようやく次女がやって来た。
時間はあるので、下に降りて食事をすることにする。
といっても、楽しく会食するだけのつもりはない。
シングルマザーが大変なのはわかるが、小さな娘と別れて働くというのは感心しない。
今後の見通しを問い詰めて、事と次第によっては強く意見してやらなければと思っている。

2009-04-06

最終日バンコクへ(9日目)

いよいよ帰国の日となって、午前のコンケーン発バンコク行きに乗る。
コンケーン空港は数年前に改築されたが、便数が少ないので閑散としている。
改築前のほうが賑やかだったように思えるのは気のせいだろうか?
飛行機は1時間ほどでバンコクに着くのであるが、国内線はドンムアン空港のほうに降りる。
日本への国際線はスワンナブーム空港から出るので、バンコク市内を横切って50キロ近く移動しなければならない。
市内でどこかに立ち寄っても良いのであるが、地方ばかりをまわっていると都会の喧騒が苦手になる。
結局、余った時間は空港で潰すことにした。
空港間の移動にはワゴン車を使ったシャトルバスを利用。
基本的に空港職員の移動などに使われるものらしいが、チケットを買えば旅行者でも使える。
ただ、少人数しか乗れないため、大きな荷物を持ち込むと二人分の料金が要求される。
安くて便利、と言いたいが、空港を統一すればそもそも不要な移動なのである。
早くなんとかしてほしいものだ。
(と言ってたら、現在はタイ航空の国内線がすべてスワンナブームに一本化されてしまった。次回からは時間も金も節約できるが、これでますますバンコク市内とは縁がなくなりそう)

いつもなら帰国のために空港へ向かうというのは寂しいかぎりなのであるが、今回は空港で次女に会うことになっているので事情が違う。
次女は仕事が終わってから空港に来ることになっているのだけれど、とにかく待ち合わせ場所へ早く行きたい。
空港の売店ではバンコク電子地図の最新版があったので、迷わず購入。
空港のすぐ南にあるらしい次女の住まいをこれで特定できればと思ったから。
空港見取り図で予め決めてあった待ち合わせ場所はすぐにわかったので、そこで座ってひたすら待ち合わせの時刻を待った。
地図のインストールも、この待ち時間におこなう。

2009-03-25

尋ね人(8日目)

午後からは、ホテルの近くの書店に行くほかは外出もせず、ひたすら体力の回復をはかる。
ただ、夜には人と会う約束が1件あった。
電話で連絡をとって、ホテルのロビーで午後7時に待ち合わせることにする。
相手は市内に住む24歳の女性で、ボーイフレンドのバイクに二人乗りしてやってきた。
用件は彼女の叔母さんの安否についてである。
叔母さんは千葉で働いていたのだが、東京に住む日本人と結婚するという電話を最後に、一切連絡が取れなくなって、家族で心配しているのだ。
とりあえず、一通りの情報を聞き取って、日本でトラブルがあることが判ったら連絡をよこすようにと言って別れた。

この件には後日談がある。
なかなか消息のつかめない叔母さんのことをmixiのコミュニティに書き込んでみたのだ。
身近に在日タイ人の知人が多そうな、大所帯のタイフリーク・コミュニティを選んでのこと。
ところが、それに対して、なぜか僕の書き込み自体を非難する意見が相次いだのである。
相手のプライバシーがどうのとか、これはチェーンメールだとか。
もちろん、そういったことに無頓着にやっているわけではない。
叔母さんのフルネームも細かな出身地も、当然伏せてあるし、一方、投稿者である僕の名前は、責任を持つという意味で実名である。
また、同様のコミュニティは他にもあったが、マルチポストになるため、書き込みは1ヶ所だけにしてある。
当然のことであるが、他所への転載なども要求してはいない。
つまり、いわゆるチェーンメールの要素など、微塵も無いのである。

どうも、最近はタイにハマる連中が増えた分、タイフリークの間にも典型的「ネットな日本人」が増えてきたように思う。
ようするに、他人のおせっかいを見るのが不快らしいのだ。
僕のタイ歴もかれこれ四半世紀になろうとしているわけで、その間、多くのタイ好きな先輩たちのお世話になってきた。
多くのタイ人はそもそも「大きなお世話」が大好きで、それを是とする人がタイ好き日本人にも多かった気がする。
第一、人捜しに使えないSNSになんて、何の価値があるのだろうか?
リピーターになりやすい国なので、現地情報をひけらかす知ったかぶりっ子にはそれだけで気持ちがいいのかもしれないが、なんとも勿体無い話である。

2009-03-11

プレゼント(8日目)

コンケーンでもう一泊することにしたため、この日は朝からホテルでのんびりしていた。
と、正午頃にドアをノックする音がして飛び起きた。
何事かと思ってドアを開けると、そこに立っていたのは紙の包みを持ったエリーの父親である。
昨日、宿泊するかもしれないホテル名を告げていたから、わざわざ訪ねて来てくれたらしい。
最近はもっぱらコサ・ホテルのほうを利用していたので、おそらく先にそちらを当たったはずである。
わざわざホテルをハシゴしてまで僕の部屋を突き止めたのは、用意してあったプレゼントを届けるためだったらしい。
携帯電話の番号を教えておけばよかったのだが、特に用事ができるとも思っていなかったし、それも後の祭り。
そもそも、娘の知り合いにプレゼントを届けに来る親父なんて、日本じゃ考えられない。

包みの中身はポロシャツが2着。
値札が付いたままってのは、いかにもタイらしいが、値段のほうは日本で僕が着ているものより相当高価である。
実は、深夜にチェックインしたり、早朝にチェックアウトしたりするため、通常料金ではホテルのランドリーサービスが使えないのである。
仕方が無いので、着替えはほとんど自分で手洗いしてきたが、アイロンがないため、帰国日に着るものが無く、どうしようかと思っていたところであった。
サイズもぴったりなので、これでパリっとした格好で飛行機に乗れる。

お父さん、さらに、外で食事でもと誘ってくれたのであるが、ようやく体力を取り戻してきたところでもあったし、ホテルのレストランで済ませてもらうことにした。
なにしろ、この人と食事すると決まって体調が悪くなって、過去に2度も吐いてしまっているのである。
このタイミングで無理すると、帰国が危うくなってしまう。

2009-02-13

R家訪問(7日目)

エリーがオーストラリアに留学中であることはわかっていたが、コンケーンに来て彼女の家を素通りするわけにもいかない。
ロータスで買い物をしてからエリーの家に向かうが、門扉は鍵がかかっていて、どうやら留守らしい。
おそらく夕食を外でとっているのだろうから、しばらく待ってみることにした。
家の近くの空き地に車を停めて、様子を見ていると一台の乗用車が家の前に停まった。
車から降りてきたのは、エリーの妹と母親である。
家の中に入るや、インターネットをしていくかと聞かれる。
日本へのメールはホテルからでもできるだろうし、姉妹共有のPCに痕跡を残すのも申し訳ないので、ここは遠慮しておく。
すると、おもむろに母親が携帯電話をかけはじめた。
相手につながったところで電話を僕に差し出しながら、エリーがでたという。
いきなりのことだし、そもそも話さなければならないような用事なんて無い。
最近は安くなっているとはいっても、タイからオーストラリアまで携帯-携帯での通話を人の電話でかけるというのも気が引けるじゃないか。
ほとんど挨拶以上の話はせずに、電話はさっさと切ってしまった。
どうも、一方的な親切に対して過剰に遠慮してしまうというのが悪い癖のようだ。
外も暗くなってしまっていたので、長居はしないで引上げることにした。
どこに泊まるかと聞かれたので、コサかコンケーンホテルにするつもりだと答えて家を出た。

2009-01-25

嬉し恥ずかし誕生会(7日目)

ケーキ屋はタイらしさのまったく無い店で、日本にいるような気にすらなる。
しかし、そこで飲み食いするのはやはりタイ人であった。
僕の誕生祝いだとか言っておきながら、二つのテーブルに分かれたら、向こうは向こうで勝手にやってる。
こちらのテーブルについたのは僕を含めて5人だが、飲み物のほかに運ばれてきたのは、小さなショートケーキが2個に人数分のスプーン。
二人前を5人でつつき合って食べるということがみみっちいとか、ゲストの僕に失礼だとかは、もちろん考えない。
単純に、さっきランチをすませたばかりだから、この程度で十分だろうという判断である。
その上で、店員を呼びつけてローソクを持ってこさせるは、大声で「ハッピー・バースデー」の合唱をするは、正直、他の客や店員の手前、恥ずかしくってしょうがない。
もっとも、それに眉をひそめるタイ人でもないのだろうけれど。

ともあれ、これでいよいよプラン・コンケーンとはお別れである。
22年間、ウチの子たちの面倒をみてくれ、訪タイの度に僕もお世話になってきた人たちが、最後の最後に(カタチだけでも)僕の誕生日を祝ってくれているのだから、これは本当にありがたいことであった。

2009-01-13

ランチで散財(7日目)

先導するプランの車は、コンケーン市街から東へかなり行ったところにある海鮮レストランへ入っていった。
池の周囲に屋根だけの席がある店だが、宴会にも使える、ちょっと高価な店と思われる。

スタッフのニラモンさんに、今後バンコクの事務所に移るのかと訊いてみたが、やはり家族がある者はそうもいかないようである。
スタッフの多くはここで失業とのことである。
プランの達成撤退は喜ばしいことであるが、現地事務所が一つ消えるごとに仕事を失う者もいるわけだ。
「今までのみなさんのお仕事に感謝して、ここの会計は僕が持ちましょう」
もとより食事代は払えるものが払うという考えのタイ人であるから、日本人スポンサーの提案に遠慮などするはずもない。
ところが、レストランでの十数人の食事となれば、さすがに物価の安いタイとはいっても想定外の金額になってしまった。
サコンナコンで追加の現金を引き出していなかったら、とんだ恥をかくところだった。

「明日は最後にみんなでノンカイまでドライブするんだけど、一緒に行かない?」
よもや明日も奢らせようって魂胆ではなかろうが、せっかくの旅行に言葉の不自由なものが加わっては連中も気楽に楽しめないだろうと思い、これはお断りすることにした。
「明日はゆっくり過ごすつもりなんです。実は明日が僕の誕生日なんですよ」
そう言うと、それなら今から誕生祝いにケーキを食べに行こうということになった。
荷物を運ぶ人たちを除いた6,7人が車2台でコンケーン市内のケーキ屋へ移動。
今度は奢ってくれるらしいので喜んでついて行った。

2009-01-03

プラン・コンケーン最終日(7日目)

コンケーンから始まったイサーンを一周するドライブも、いよいよ再びコンケーンに戻って終了する。
ウドンからはまっすぐ南に130キロ、2時間弱である。
コンケーン市内に入ってまず向かったのが、プラン・タイランドの統括事務所。
ちょうど1年前の訪問時には引越しが始まったところで、現在は統括事務所はバンコクに移っているはずである。
空き家になっているか、すでに新しい住人が入っている可能性が高いが、14年間、訪チャイの拠点だった場所なので、懐かしさで覗いてみたくなったのだ。
ところが、行ってみるとそこに停まっているのはプランの車。
驚いたことに、引越しはまだ完了していなかったのである。
スタッフ総出でダンボール箱や国旗(日本の!)などをプランのトラックに積み込んでいるところだった。
中に入ってみると顔馴染みのスタッフが何人もいて、聞けば、今日が引越しの最終日なのだという。
さすがに室内にはもう何も残っていない。
これから最後の行事があるとのことで、付き合うことにした。
準備の様子を見ていると、敷地の一番端にある大木に向かって小さな祭壇をつくり、そこに食事を備えている。
どうやら土地神に対する感謝の儀式らしい。

その儀式が終わって、いよいよこの事務所も撤退である。
最後にみんなで食事をするので一緒に行かないかと誘われた。
願ってもないことなので同行する。
本当はお邪魔かな、とも思ったが、移動の足として好都合だったらしい。
僕の車にスタッフ3人を乗せてプランの車について行った。

2008-12-24

花婿募集中(6日目)

チャーイの家を出て、市街の反対側にあるホテルに入る。
少し落ち着いたところで、ウドンに住む知り合いに電話をかけた。
すぐにホテルまで行くと言うので、ロビーで本を読みながら待つことにした。
間もなくやってきた彼女に、約束していた日本のファッション雑誌を渡す。
彼女は現在結婚相手を探しているところで、インターネットの国際結婚サイトにも登録している。
「その後、いい男は見つかった?」
「まだ」
「そう。ま、がんばってね。念のために聞いておくけど、僕は候補じゃないんだよね?」
「あはははは」

23歳の彼女が結婚を焦っているのにはわけがある。
浮気して出て行った前夫との間に、生まれたばかりの赤ん坊がいるのだ。
赤ん坊の父親になるなら、少しでも早いほうがいい。
ちゃんと面倒を見てくれるなら、年齢・国籍は問わないとのこと。
「どうして外国人と結婚したいの? タイ人じゃだめ?」
「ぜーったい、ダメ! タイの男はもうこりごり。前の夫は私が妊娠中に浮気相手といなくなったんだから。そういったことがタイの男にはよくあるの」
確かにタイ男のだめだめぶりはよくわかる。
が、しかし、結婚前にそのだめっぷりがなんで分からないんだろうと、タイ女性の軽率さもまた、僕には理解できないところなのである。
当然、しっかりしたタイ男もいるはずなので、ゆっくり見極めてから結婚すればいいだけなのに、と思うわけである。

ホテルの近くの喫茶店でしばらく愚痴を聞いた後、息子を見に彼女の家まで行くことになった。
母親と妹が面倒を見てくれていた赤ん坊は、目の大きなかわいい子だった。

うっかりしたことに、子供向けのおもちゃとかを用意し忘れていたため、取り入るきっかけが無い。
見知らぬ男には警戒するばかりで、とうとう抱かせてはもらえなかった。
来年は何か買って行こうと思っているのだが、場合によっては、母親と一緒に、どこか外国に行ってしまっているという可能性無きにしも非ず。
ひょっとすると日本人の子供になって、日本で暮らしているかもしれない。

2008-12-13

買い物(6日目)

食事の後、BigCのCD売り場へ行く。
毎年、タイのCD・DVDを買いだめするのが最大の楽しみなのである。
1年ぶりになるので、贔屓の歌手の新作などを探すのであるが、一般的にアルバム発売の頻度は日本よりも低い。
今年は全売り場を見てまわっても、これは、というものが無い。
日本で過ごす1年間の必需品であるから、探すのも必死である。
何かお勧めがあるかとチャーイに尋ねたのが失敗だった。

「カラバオはどう?」
長髪ヒゲオヤジがアップで写っているCDをチャーイが見せる。
「いらない」
「どうして?」
「ジャケットがむさ苦しいから」
「じゃ、こっちのは? スローな曲が多いから、タイ語の勉強にもなるよ」
今度は50代半ばのベテラン女性演歌歌手、ダオチャイである。
「ママがすごく好きなのよ」
悪いが、彼女のママと趣味が合うとも思えない、っていうか、なんで最新のタイ・ポップスを勧めない?
ポップス系は歌詞がネット上に公開されていたり、英訳・和訳もあったりするので、実はタイ語学習にもこちらのほうが適しているのである。
いつまでも断り続けるわけにもいかず、結局、あまり気の進まないまま、チャーイが集めてくるものを何点か買わされてしまった。
もっとも、帰国してから聞いてみると、そのなかに日本の曲のカバーが何曲かあったりして、それはそれで、その思わぬ小さな発見が嬉しかったりもするのであるが。

店を出かかったときに、チャーイにいつ帰国するかと聞かれて思い出した。
帰国は3日後だが、バンコクまでの国内線をまだ予約していなかったのである。
このあと、コンケーンとバンコクで1泊ずつするか、コンケーンで2泊してバンコクは通過するだけにするかを決めかねていたのだ。
すでに疲れもピークに達していて、バンコクで泊まることを想像するとうんざりである。
で、結局最後はコンケーンでゆっくりすることにして、最終日のコンケーン-バンコク便を押さえることにした。
さっそくチケットの予約をBigC内の代理店で済ませ、チャーイの家に戻った。

2008-12-03

ギャグ、不発(6日目)

昼もだいぶまわっていたので、食事のためにチャーイとBigCへ行く。
こちらが客なので当然のように彼女が払ってくれようとしたのだが、このような場面で使おうとしっかり暗記してきたセリフを言ってみることにした。
本当はもっとリッチなディナーで使いたかったのであるが。

「ここは僕が支払いますよ」
「あなたはゲストだから、私にまかせて」
「いや、僕が払わなければいけない理由が4つあるんです」
「?」
「第一の理由は、僕が日本人だからです。ここは日本よりずっと物価が安いから、ぜんぜん負担になりません。第二に、僕は男ですから、女性から奢られるわけにはいきません」
「じゃあ、次の機会にはそうしてもらうから、今日は私に払わせて」
彼女がこの程度で引くことはないというのも計算の上である。
「それだけではありません。三つ目の理由は、僕のほうがあなたより年上だからです。それともあなたのほうが僕よりも年長でしたか?」
この余計な問い掛けは予想以上にインパクトがあったらしく、チャーイはしばらく黙り込んだあと、降参して言った。
「わかりました。じゃあ、今日は私が奢ってもらいます」

(あららら~!、三つ目の理由で納得されちゃうと困るんですけど...。4つ目に小粋なジョークをかまして、笑いの中でスマートに説得するというシナリオが狂っちゃうじゃないですか)
結局、練りに練ったオチを口にすることすらできず、消化不良のランチとなってしまったのである。

2008-11-30

クラス写真(6日目)

ノンカイの三男の家を出て、すぐさまウドンのチャーイ宅へ向かう。
食事をする約束だから、あまり待たせては申し訳ない。
チャーイは4年ぶりだと思うが、昔のまんま、化粧っ気も無しのジーンズ姿で出迎えてくれた。
32歳独身、どうやら今年も男には縁が無かったようである。
先日辞めたばかりの軍隊には男ばっかりだったろうにと言うと、数は多くても付き合う対象になるようなのはいなかったとの事。
困ったものである。

実は今回、ちょっとした悪戯を用意してあった。
ネット上で彼女の学生時代のクラス写真を入手してあって、さりげなくこれを見せたのである。
当然、「えー、なんでぇ?恥ずかしい!キャー!!」という反応を期待してである。
ところが彼女、そんな写真が出てきたことには驚いたものの、恥ずかしがるどころか嬉しそうに説明を始めるのである。

クラスメイト一人ひとりの能力や現在の職業、自分がどれほど彼らを評価しているかを嬉しそうに話す。
医者になったり、通訳など海外で活躍したりする友人たちが自慢らしい。
「私だけが置いてきぼり」と話すチャーイにしてからが、まもなく自分の会社を立ち上げるために準備をしているところであって、やはりタイ・エリートの一人なのである。
今は起業のために忙しくしているようではあるが、さまざまなボランティアにも積極的で、趣味も多く、何より嫌いなことが無駄に時間を過ごすことなのだそうだ。
(この調子だと、来年もきっと独身のままなんだろうな)
事業の成功を祈りつつも、一抹の不安を覚える日本の兄ちゃんなのであった。