訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2009-07-02

あなたに贈る 感謝状

タイから帰ってきたら、プランから手紙が来ていた。
長期スポンサーへの感謝状とある。
どうやら、10年超のスポンサーに送ったらしい。
申し訳ないが、これは嬉しいと思うよりも、逆に引いてしまった。

そもそも感謝状というからには、なんらかの「特別な」貢献をした人に出すべきである。
たとえば、僕が今度の宝くじの当選金3億円の使い道に困って、うち1億円をプランに寄付したのだとする。
その場合は、プランはちゃんとした感謝状を用意するべきだし、僕もそれを謹んで受領せねばならない。

でもね、僕はプランのスポンサーなわけで、つまりはプラン・ジャパンのメンバー、身内なわけである。
なんで身内から「上から目線」の感謝状をもらわにゃならんのか?
あるいは、10年、20年の節目ごとにもらったのなら、それはそれで、10年になった、20年になったと、スポンサーとしての自覚を思い直すきっかけになるかもしれない。
ところが、今回、初めて、かつ一括である。

プランは組織が大きいことの一つの弊害として、スポンサーを外部の者とみているようなところがある。
金の流れでみれば、
(スポンサー)->(プラン)->(チャイルド)という構造である。
しかし、支援の実態は、
(プラン&スポンサー)->(プラン&チャイルド)ではなかったのか?
プラン・ジャパンの会長・理事長も、一般職員も、個々のスポンサーも、同じ目的のためにがんばってるはず。
現地でも、プランのスタッフはコミュニティの家族らと「一緒に」なって開発活動しているはずである。
今回、長年理事を務めた人とか、職員に対しても「感謝状」ってのが出たのだろうか?
もしそうなら、それはそれで笑っちゃうが、スポンサーだけが切り離されたのでは、むしろ寂しく思えてしまうのだ。

スポンサーに対して不信感を持ってるかのごとくに、やたら誓約書を書かせたり、検閲ともいえるほどホームページやブログをチェックしたりっていうのも、万々一の不祥事を防ぐためということで理解できないわけではないのだが、まずはスポンサーをもっと身内意識を持って見るべきだ。
不祥事には個別に対応すればよいのである。

おそらく、プランも25年を過ぎ、初期からのスポンサーにも引退組が増えてきているのであろう。
それを少しでも引き止めるために、感謝状でベテラン・スポンサーを顕彰するという案が出たのだろうと思う。
しかし、プラン本来の趣旨からいえば、年寄りの年金を当てにして収入の維持をはかるというのは本末転倒である。
年配のスポンサーが去っていくなら、そのときにこそ感謝状でもだして送り出し、それ以上に若いスポンサーを増やしていけばよいのである。
プランに必要なのは、若い人が次々と新しく参加したくなるような、意義ある活動であり広報であるはず。
「給料もらうようになったのでプランに参加しました」って聞いたとき、我々年配スポンサーが、どれほど嬉しいかわかってもらえるだろうか?

あとは、チャイルドからの手紙さえ届いていれば、感謝状なんていらないのである。