カラシン先生のこと(1)
三女の学校を初めて訪ねたとき、相手をしてくれたのがカラシン先生だった。
英語の先生ということで対応してくれたのだと思うが、こちらの英語がさっぱりなので苦労されたと思う。
翌年紹介された長男も偶然に同じ学校だったこともあり、同校には毎年立ち寄ることになる。
さらに、四女の学校もそこから数キロしか離れていなかったことで、四女を訪問する時にもカラシン先生は同行してくれた。
よく昼食に誘ってくれて、子供たちが世話になっているからと、食事代をいつも払ってくれていた。
四女が進路で悩んでいたとき、一緒に家庭訪問して、地元での進学を勧めてくれたのもカラシン先生だった。
自宅に招いてくれたり、公園のイベントに連れて行ってくれたり、同じ年の娘がいるということもあって、とても親身に面倒をみてもらった。
2004年の訪タイ時には、週末だったため、学校へ行かずに直接先生の自宅に立ち寄った。
先生はちょっと体調が悪いので休んでいたとのことだったが、このあと子供たちを訪ね歩くのに同行すると言ってくれた。
ありがたい申し出であったが、せっかくの週末なので、しっかり休んで元気になってくださいと、同行を断って家を出た。
「明日の日曜日はモデル授業をすることになっていて、偉い人も大勢見に来るから、その準備にも追われているの。それでは申し訳ないけど、今日はごめんなさい。そのかわり、今、この家を改築しているので、来年はうちに泊まってちょうだい」
このときは風邪をひいてるくらいにしか思っていなかったのだが、先生が亡くなったと知らされたのは、それからわずか一月半後のことだった。
英語の先生ということで対応してくれたのだと思うが、こちらの英語がさっぱりなので苦労されたと思う。
翌年紹介された長男も偶然に同じ学校だったこともあり、同校には毎年立ち寄ることになる。
さらに、四女の学校もそこから数キロしか離れていなかったことで、四女を訪問する時にもカラシン先生は同行してくれた。
よく昼食に誘ってくれて、子供たちが世話になっているからと、食事代をいつも払ってくれていた。
四女が進路で悩んでいたとき、一緒に家庭訪問して、地元での進学を勧めてくれたのもカラシン先生だった。
自宅に招いてくれたり、公園のイベントに連れて行ってくれたり、同じ年の娘がいるということもあって、とても親身に面倒をみてもらった。
2004年の訪タイ時には、週末だったため、学校へ行かずに直接先生の自宅に立ち寄った。
先生はちょっと体調が悪いので休んでいたとのことだったが、このあと子供たちを訪ね歩くのに同行すると言ってくれた。
ありがたい申し出であったが、せっかくの週末なので、しっかり休んで元気になってくださいと、同行を断って家を出た。
「明日の日曜日はモデル授業をすることになっていて、偉い人も大勢見に来るから、その準備にも追われているの。それでは申し訳ないけど、今日はごめんなさい。そのかわり、今、この家を改築しているので、来年はうちに泊まってちょうだい」
このときは風邪をひいてるくらいにしか思っていなかったのだが、先生が亡くなったと知らされたのは、それからわずか一月半後のことだった。
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