訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2006-10-23

ただいま孫2人

つい先日、たまたま見ていたテレビ番組の中で歌手の堀内孝雄さんも「孫のかわいさは異常」だとおっしゃってた。

これまで、チャイルドたちが何人増えようとも、彼らに対する気持ちに分け隔てはなかった。
年少でも年長でも、男の子でも女の子でも、活発でもおとなしくても、デブでもチビでも、同じようにかわいくて、順位をつけるようなことはできない。
ところが、「孫」となるとまったく別格。
「子」より確かに格上なのだ。
子供たちとは、別れ際に「じゃ、また来年のいつかね」と言って簡単に別れられる。
だのになぜか、その次の世代とは、離れたくない、後ろ髪を引かれる、といった気持ちになるのである。
それこそもう、眼のなかに入れて持って帰ろうかと思うくらいなものである。

堀内さんは、「責任が無いからでしょうかね」とおっしゃる。
確かにそうかも、と思ったりもしたが、考えてみれば、僕の場合、一代目も二代目も、責任が無いっちゃ、もともと全然無いのだった。

おそらくもっと原初の、本能に近いあたりに原因があるのだろう。
これまでは自分がどんどん年を取っていくことが嫌だった。
できないことが増えていく、いつの日か自分の死ぬ日に近づいていく、ということが年々実感されていくから。
ところが、血の繋がりは無いものの、「孫」と呼べる存在ができた瞬間に自分が変わった。
たとえ明日死ぬことになったとしても(もちろん避けたいが)、以前よりは現世に未練を残さずにすみそうである。
おそらく、種を維持したいという本能は、自分の子が、さらにその子を残したときに初めて、自分の届かない未来を手にしたと実感し、完結するのであろう。
その証である孫の存在は、自己の存在理由そのものなわけで、何ものにも替え難いものであるわけだ。
そのような気持ちになることに血縁はまったく必要なかった、ということが嬉しくもあるのだが、残念なのは、この異国の孫たちは1年に1回、半日を一緒に過ごすことしかできないことである。
1歳半の孫に次回会うときは2歳半になっている。
その間の成長や言動を一切見ることのできないつらさ。
嫁いだ女性は子供を連れての帰省が最大の親孝行になる、という所以である。

写真は長女の息子、初孫ナット