グラミン銀行は貧困救済の特効薬か?(8)
【開発の歴史】
ユヌス氏が、当初、援助ではバングラデシュから貧困は無くならないと言ったことは間違っていない。
バングラデシュが独立した1971年から1983年のグラミン銀行設立までの12年間、この国は世界中から莫大な金額の援助を受けてきた。
しかもその半分以上が贈与だった。
にもかかわらず、その12年間でバングラデシュから貧困は無くならなかった。
原因は、災害やら腐敗した政治やらいろいろあるが、援助する側にも多くの悪い点があったからだ。
なにしろ、援助に関わっていたドイツ人が「死を招く援助」なる本を著して、バングラデシュのためには即刻援助を中止すべし、と訴えたのがちょうどグラミン銀行発足直後のころである。
日本の援助もひどいもので、その詳細をここに書くことは省くが、納税者の一人として、穴があったら担当者を埋めてやりたいくらいなものである。
そんななか、アメリカ資本主義に帰依したユヌス氏が、貧困から抜け出るには起業して自営業者になることが一番、と考えたのも無理はない。
「援助では彼らを助けることができない」と言うときの「援助」とは、この頃の「ダメダメ援助」である。
さて、海外から流れ込む莫大な援助金を否定し、融資にまわしてこそ貧しい人たちを豊かにできるとユヌス氏が宣言してから、28年が過ぎた。
バングラデシュは今日、貧困を過去のものとしたであろうか?
ユヌス氏は、孫の世代には貧困は博物館で学ぶものになっているはずだと発言している。
すでに折り返し点である子の世代にはなっていると思うが、相変わらず、バングラデシュは世界の最貧国のままである。
グラミン銀行が、自身言うように有効な手段であるなら、とっくにバングラデシュは金持ちばかりになっていなければならないはずだ。
資源のない日本が、戦争に負け、多くの働き手を亡くし、焼け野原から出発した1945年から、19年後にはオリンピック、25年後には万国博覧会を開催しているのである。
あえてここで言いたい。
そんなご立派なグラミン銀行が世界中から支持と支援を受けておこなった28年間の開発実験で、いったいどれだけのことを成し遂げてきたのか?
確かに28年前よりは豊かになったし、貧しい人たちも減ってはきた。
しかし、その限定的な成果すらグラミン銀行の手柄というわけではない。
なぜなら、この28年の間には、政治も改善され、海外からの援助も見直されてきたのだから。
バングラデシュへの海外からの援助金は、即刻中止どころか、年々増加し続けた。
当然、指摘され始めた悪しきプロジェクトは見直され、より有効な援助手段が模索された。
バングラデシュの僅かな発展には、グラミン銀行以上に、そうした滞ることなく続けられてきた海外からの援助が、それはそれなりに役立っていたはずなのだ。
ユヌス氏が、当初、援助ではバングラデシュから貧困は無くならないと言ったことは間違っていない。
バングラデシュが独立した1971年から1983年のグラミン銀行設立までの12年間、この国は世界中から莫大な金額の援助を受けてきた。
しかもその半分以上が贈与だった。
にもかかわらず、その12年間でバングラデシュから貧困は無くならなかった。
原因は、災害やら腐敗した政治やらいろいろあるが、援助する側にも多くの悪い点があったからだ。
なにしろ、援助に関わっていたドイツ人が「死を招く援助」なる本を著して、バングラデシュのためには即刻援助を中止すべし、と訴えたのがちょうどグラミン銀行発足直後のころである。
日本の援助もひどいもので、その詳細をここに書くことは省くが、納税者の一人として、穴があったら担当者を埋めてやりたいくらいなものである。
そんななか、アメリカ資本主義に帰依したユヌス氏が、貧困から抜け出るには起業して自営業者になることが一番、と考えたのも無理はない。
「援助では彼らを助けることができない」と言うときの「援助」とは、この頃の「ダメダメ援助」である。
さて、海外から流れ込む莫大な援助金を否定し、融資にまわしてこそ貧しい人たちを豊かにできるとユヌス氏が宣言してから、28年が過ぎた。
バングラデシュは今日、貧困を過去のものとしたであろうか?
ユヌス氏は、孫の世代には貧困は博物館で学ぶものになっているはずだと発言している。
すでに折り返し点である子の世代にはなっていると思うが、相変わらず、バングラデシュは世界の最貧国のままである。
グラミン銀行が、自身言うように有効な手段であるなら、とっくにバングラデシュは金持ちばかりになっていなければならないはずだ。
資源のない日本が、戦争に負け、多くの働き手を亡くし、焼け野原から出発した1945年から、19年後にはオリンピック、25年後には万国博覧会を開催しているのである。
あえてここで言いたい。
そんなご立派なグラミン銀行が世界中から支持と支援を受けておこなった28年間の開発実験で、いったいどれだけのことを成し遂げてきたのか?
確かに28年前よりは豊かになったし、貧しい人たちも減ってはきた。
しかし、その限定的な成果すらグラミン銀行の手柄というわけではない。
なぜなら、この28年の間には、政治も改善され、海外からの援助も見直されてきたのだから。
バングラデシュへの海外からの援助金は、即刻中止どころか、年々増加し続けた。
当然、指摘され始めた悪しきプロジェクトは見直され、より有効な援助手段が模索された。
バングラデシュの僅かな発展には、グラミン銀行以上に、そうした滞ることなく続けられてきた海外からの援助が、それはそれなりに役立っていたはずなのだ。
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