訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2011-09-07

グラミン銀行は貧困救済の特効薬か?(9)

【ノーベル賞】
ユヌス氏の日本での高評価は、彼とグラミン銀行のノーベル賞受賞で確定的なものになったようだ。
世界が認めているのだから間違いない、というわけである。

しかし、そもそもノーベル平和賞というものは、ほかのノーベル賞と違って、対象者の真価を保証するものではないのである。
ベトナム戦争を支援し、裏では核持ち込みも容認していながら、自国民をなだめるためにでっち上げた建前「非核三原則」でちゃっかり平和賞を貰った某国の元首相とか、演説に核兵器削減を盛り込んだだけで、相変わらず世界中でドンパチを続けている某国の現大統領とか、受賞と実態が乖離してしまっているのがノーベル平和賞なのである。

科学関係のノーベル賞は、業績が「正しかった」と認められるだけでなく、そこから後の発展、応用まで含めて、真に人類に貢献したと認められて初めて受賞に至る。
したがって、引退後に受賞することもしばしば、場合によっては故人になってて受賞を逃すことも稀ではない。
ところが、平和賞に限っては、政治的な力関係や外国政府の思惑、時には気に入らない国への嫌がらせのために、その国の政治犯を受賞させたりと、名前とは裏腹にドロドロの陰謀渦巻く賞なのである。
無論、選考委員には自負もプライドもあり、自ら信じるところに従って、何ら良心に恥じることなく受賞者を選んでいるはずだ。
しかし、一方で、過去の選考を恥じたり後悔したりということも少なくないと聞く。
ノーベル平和賞委員会が自ら「最大の過ちだった」と懺悔したのは我らが佐藤栄作氏の受賞に関してだった。
ユヌス氏の受賞も後にキズモノとならなければ良いのだが。

ちなみに、委員会に推薦状を出すなど、ユヌス氏の受賞に尽力したのはアメリカの歴代大統領。
本来、貧困の撲滅には、程度の問題はともかく、社会主義、共産主義的手法が必須と考えられていたわけで、ユヌス氏の言う「資本主義こそが貧困を無くす」という主張はアメリカにとってこんなオイシイことは無いわけだ。
なんとかこの主張を世界に認めさせたいと考えるのは当然である。
これもまた、「アメリカが正義をおこなうのではない、アメリカがおこなうことが正義なのだ」という独善国家の所業の一例である。