訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2007-07-30

六日目・再びタオンゴイへ

ホテルで朝食をとった後、再びタオンゴイへ車を走らせる。
昨日、五女と約束した場所へ着くと、すでに彼女が待っていた。
約束の時間の30分も前である。
タイ人と付き合うようになって久しいが、30分以上先に来て待ってるタイ人なんて初めて見た。

わき道に入って4キロほど行ったところにある集落に彼女の家はあって、学校までは7キロあることになる。
家には小さな弟と母親がいた。
母親は織物の仕事をしているが、なかなかに生活は厳しいとのこと。
タイシルクと枕をお土産にと言われたが、これは固辞した。
とてもそれを詰め込むスペースが無かったからである。

しばらくしてから、五女を連れて向かったのは長男の家。
現在大学の2年生のはずで、家から通っているため、週末は家にいるはずなのだ。
なぜか五女は長男の名前も家も知っていた。
家は学校を挟んで10キロ以上離れているし、学年も2つは違うはずなのに何でだろう??

長男の家に上がりこんで、まず聞いたのが「大学はどう?」。
ところがこの返事には驚いた。
大学を中退したばかりだというのである。
ちょっと腹を立てて理由を聞いたところ、バンコクで働いている母親からの仕送りが2年間滞っていて、学校を続けられなかったのだそうな。
確かに僕の提供している奨学金は、中学生がギリギリ学校へ通える程度の金額だから、大学を続けるには家族にも大きな負担がかかる。
しかし、それならそれで、一言連絡してからにして欲しかった。
が、彼にしてみれば、大学を続けることより、バンコクに行ったっきりの母親や姉のことが気がかりなのであろう。
家族が何年も離ればなれで暮らしていて、自分だけ学校に通うのが辛かったのかもしれない。
彼が働くことで、家族がまた一緒に暮らせるようになるのなら、それも良しだと考えたい。

今年の奨学金分を渡そうとしたところ、学校をやめたのだから受け取れないと断られた。
無理やり押し付けはしたものの、もっとたくさん出せてたら、と思うと逆にこちらが申し訳なくなってくる。
とはいえ、僕がしなければならないのは、僕の金で彼らの生活を変えることではない。
今は、ちゃんと就職して、きちんと稼げるようになるか、見守っていくだけだ。
彼がどのような道を選択しても、それも間違いではなかったと後から思えるようになることを、ただ願う。