訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2011-12-02

消息不明

高校を卒業後バンコクで働いていた四女と連絡が取れない。
バンコク北部の薬局で店員として働いていたが、今年6月に会った時に使っていた電話番号が通じない。
洪水の被害の大きい地域なので、仕事はもちろん、住んでいるところも水没したはずである。
実家は東北のサコンナコン県なので、おそらく帰省して自宅待機ではなかろうかと思っていた。
電話が通じないのはプリペイドが切れたとかでよくあることだから、それほど心配もしていなかった。

先日、ウドンの知人がフェイスブックで寄こしたメッセージで、ウチの子たちのことを心配してくれていたので、実は何人か連絡が取れないのだと告げた。
調べてあげるよ、との言葉に甘え、四女の番号を教えたが、彼女が電話してもやはり不通であった。
そこで、四女の実家にいる母親とコンタクトしてもらうよう依頼していたのだが、驚いたことに実家にもこの2カ月連絡が無いというのである。

最後の連絡で、四女は正月に帰省すると言っていたそうだ。
おそらく1月のことではなく、4月のタイ正月をさすのだと思うが、それは定かではない。
もし実家のほうに連絡があったら、必ず僕のところにも知らせが来る、という段取りをつけてもらうことができた。
あとはこちらからできることは何もないので、ただ連絡を待つだけだ。

今回の洪水は確かに大勢の死者も出しているが、津波のようにいきなり襲ってくるものではなかったはず。
極端な話、もし死んでいれば逆に親元への連絡は速やかに行っただろうから、どこかで不便な暮らしを強いられてはいるかもしれないが、無事ではいるはずだと信じたい。
四女を含め、現在ウチの子は4人がバンコクとその周辺で暮らしている。
ほかの3人にいたっては、電話すら持っていなかったりで、連絡の手段が無い。
来年、直接実家を訪ねて安否を問うしかないのである。
全員の無事を確かめるまで、悩ましい日が続きそうである。