訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2007-01-31

タイ国ケータイ事情

タイでも携帯電話の普及は凄まじい。そこで数年前から、訪問時にはタイで使えるGSM携帯を持参している。
タイでは日本と違って(というか、日本のシステムの方が世界標準と違って異常なのだが)、携帯電話の通話料が安い。これは電話機本体の価格を通話料に転嫁したりしないからである。当然、電話機の価格が相当なものになるのであるが、ここはよくしたもので、日本では考えられない携帯電話の中古販売や修理販売が一般的なのである。何世代も前の旧型機なら格安で手に入る。
しかも固定電話、公衆電話の普及が十分でなかったことから、中流以下の家庭でも、最初に入手する電話機が携帯電話だったりするわけである。
というわけで、ウチの子たちも社会人になったら最初の給料でケータイを持つことが当たり前になってしまった。といっても、昔の日本で黒電話が広まっていった頃のように一家に一台がやっとなので、電話をかけても誰が出るか分からない。家には固定電話は無いが、みんなで使う携帯が1台ある、というわけだ。
プリペイドカード式の支払いでは基本料金がいらないわけで、余裕がないときは電話をかけなければ節約できる。ときどき電話番号が変更になったりするのは、長いこと使わなかったために古い番号が死んでしまったということなのだろう。
最近、ようやく日本の携帯も海外で使える機種が出てきた。通話料がバカ高だが、緊急時にしか使わないと割り切れば、購入時にそういった機種を選択しておくというのも一つの方法である。滞在中のみレンタルするというのは、あまり旨味がないと思う。
ちなみに、携帯電話の爆発的普及によって、街中の公衆電話が急速に姿を消していった。国内・国際電話用のテレホンカードが何枚か手元にあるのだが、使う機会がなくなったままコレクション化してしまっている。もはや残高を確認する術さえ無いが、ちょっともったいない。

2007-01-24

通知表

サコンナコンの四女・ナンパから手紙が来た。
料金が倍かかる速達で送ってきたので、ちょっと不安をおぼえながらも急いで開封。
中には1枚の印刷物があるだけで、手書きの手紙とかは一切ない。
以前にも見たことのある書式は、学校の通知表だった。年末の成績表をコピーして送ってきたのである。

カレッジ入学後、初めて送ってきた通知表はコピーでなくオリジナルだった。
次の訪問時にそれを返しながら、「だいたい3か4で良いけれど、一つ1があるね。これを何とかしなさい」って説教したものだ。
ナンパは中学を出たら働くつもりになっていたのだが、都会へ出ていくことに不安を感じたので、学費を一部負担するから地元の学校に進学するようにと卒業直前に説得したのである。
喜んで進学はしたものの、入学当初はやはりついていけない教科があったのだった。

で、今回送られてきた通知表は、なんと全教科が4になっている。
実はタイの成績は通常0から4の5段階評価で、3.5といった中間値もある。
つまり、4は評価の最高得点なのだ。日本風にいえば、オール5というわけ。
1を取ってしまった最初の成績でも日本のとーちゃんに見せようと送ってきた子である。
それが全科目で4を取ったとなれば、そりゃ、速達にしたくもなるわね。

2007-01-22

勉強の姿勢

ウチの子たちの家では子供専用の机なんて見たことがない。
せいぜい、折り畳み式のスチール脚がついたミニテーブル、幼児のお絵かき机みたいなものがある程度だ。
表面にタイ文字の一覧がプリントされているようなやつ。
少し成長すると、もうそんなのでは窮屈である。

で、自宅で勉強するときはどうするかというと、ほとんど皆、寝転がってやっている。
床で食事をするお国柄、書きものも床で問題無いようである。
女の子でも同じ。正座した姿勢から上半身を前に投げ出し、床に置いたノートに書き込んでいる。
もっと楽なのは完全に寝そべってする姿勢。
日本だと来客の前でそんな勉強姿を見せては、絶対母親に叱られるだろう。

もっとも、屋内の照明は日本の基準からすると異常に暗い。
慣れないとついつい目を凝らしてものを見ようとするので、非常に疲れる。
したがって、宿題なんかも明るいうちにチョコチョコっとやっちゃって、夜遅くまで勉強なんてしないほうが体のためでもある。
だから学習机なんていらないのだ。

2007-01-16

ニアミス

もう何年も前のことになるが、家出同然にコンケーンから出て行った長女が、どうやらバンコクで結婚したらしいとプランから聞かされた。
(これはもう二度と会えないんだろうな)

それからしばらくして、ランプーンの次女も、義父を嫌って家を飛び出した。コラートあたりで自活するつもりだったらしい。
(こっちももう会えないかもしれない)

ところが、親戚や友人たちの協力で、ともに現住所を知ることができたのである。

まず、翌年、長女の嫁ぎ先を訪ねることができた。
バンコクって言ってたのに実はサムサコンである。日本だと「東京」って言ってたのに実は「千葉」だったといったところか。
2年ぶりに涙のご対面を果たした後、産まれたばかりの息子を見せられてビックリした。

さらに翌年は次女の消息もつかめたのだが、なんとこちらもサムサコンで働いているとのこと。
この年は訪タイ初日に長女を訪ねていたのだが、帰国前日にも急遽、再びサムサコンを訪れることになったのである。

そしてあろうことか、長女の家と次女の社宅が国道を挟んで、ほんの目と鼻の先だということがわかった。
日本なら、岩手県の女の子が東京へ行くと出ていって千葉県で結婚。一方、奈良県の女の子が愛知県で就職するって言ってたのに実は千葉県で働いていたっていうようなもの。
そしてご近所さんになってたなんて、まったくあり得ないような偶然である。

二人は同じバスに乗り合わせ、同じ店で買い物をしたこともあっただろう。
道ですれ違ったり、ひょっとしたら偶然目が合ったことさえあったかもしれない。
もちろん、お互いに「日本のとーちゃん」がいることとか、そしてそれが同一人物であることなど、まったく知らないままで。

2007-01-10

ホームステイ

タイで毎回お世話になっているのがコンケーン県のR家。
娘のエリーがプランの通訳ボランティアをしていたことから知り合って、以来、家族ぐるみの長い付き合いである。
中国系の裕福な両親は、なんとしても男の子が欲しかったのであろう、産みも産んだり、女ばかりの8人姉妹なのだ。
エリーはそのうちの6番目。姉5人に妹2人である。
ついでに言えば、2人いる孫も女の子ばかり(呪われているのか?)。

タイ人の常で押しつけがましいほど親切な一家は、毎年「ホテルはキャンセルして、うちに泊まりなさい」って勧めてくれる。
寝食がタダってことに、つい断りきれず、1度だけ泊めてもらったことがあった。
が、これが想像を絶する窮屈な環境になるとは夢にも思わなかった。

「私は妹の部屋へ行くから、あなたは私の部屋を使いなさい」
「え、客間じゃないの?」
冗談じゃない。いきなり女の子の私室にひとり放り込まれても、ベッドに腰掛けることさえできず、部屋の真ん中でボーっと突っ立ってるしかないのだ。
机や箪笥だって、引き出しひとつ開けてみるわけにいかないから、手持無沙汰で、することがない。

居間へ行こうかと部屋を出てみれば、風呂上りの妹が寝間着姿で歩いている後ろ姿に出くわし、あわててUターン、音を立てないように、そっとドアを閉める。
トイレ兼用のシャワー室に行けば、脱衣カゴに女性ものの下着が引っ掛かっているのを発見、またまたこっそり引き返す。
まるでコントのコソ泥である。
広い家の中で、もはやまったく身動きがとれない軟禁状態。

もちろん、放置されているわけではなく、頻繁に、扇風機だ、小型テレビだ、果物だ、飲みものだと差し入れにやってくるので、早々に寝てしまうことすらできないのだ。
(っていうか、今晩このベッドで寝ろってのかあ??)

というわけで、翌日、強く引き止めるのを振り払うようにしてホテルへと引っ越した。
ホテルがリラックスできる場所であることを、この日初めて知ったのである。

2007-01-04

資金源

タイ国限定とはいえ、子供達が増え、毎年彼らを訪問するとなるとこちらの経済状況が危機に陥る。
本業の収入はキビシイもので、自分の家族を養うのにカツカツな状態である。
それでも何とかやってこれたのは、もう20年近く新聞配達のアルバイトを続けているから。
年収で60万くらいのアップになる。
これで、援助金や奨学金を送っても、年に一回の訪チャイ旅行をするくらいは可能なわけ。

配達中は単純作業なので、よく子供達のことを考えながら走っている。
特に「孫達」のことを思うと顔が緩んでくるのである。
誰も見ていない時間帯だからいいけど、新聞抱えて思い出し笑いとかしている。
(今度会えるのは何ヵ月後)とか考えながら配達していると、雨も嵐も眠気すらも、ぜんぜん平気なのである。