訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2011-05-16

遭遇

プーウィエンを後にしてから向かったのは、コンケーン県よりさらに西にあるチェイヤプーム県の山中、チュラボーンダムである。
コンケーン大学から140キロメートルも離れたこの地に大学の天文台がある。
ダムの周辺はいくつもの施設があり、手前の検問所では、外国人とわかるとパスポートを取り上げられてしまった。
あとで取りに戻るなんてできない場所だから、帰るときに忘れず返してもらわないと。
そこからは警備員が先導してくれたので、迷わずに済んだ。
一番奥まった場所にある天文台はドームだけの建物で、大きさこそ十分なものの、ほとんどハリボテである。
雨漏りはするし、開け閉めもうまくできないし、何よりもそこにあるのは、日本ならアマチュアが個人で所有するような小さな望遠鏡。
これが国立大学の観測所なのかとびっくりした。

生活棟は少し離れた場所にあって、これまた高校の運動クラブの部室にしか見えない。
室内もほとんど道具入れに過ぎず、時間つぶしのラジカセや食料が乱雑に置かれてある。
周囲は手つかずの森林で、今朝、観測を終えてドームを出たら、深い霧の中、すぐ目の前を野生の象がゆっくりと横切って行ったんだそうな。
そんな自然が残っていることは羨ましいことで、昨夜のうちに来てたらそれが見えたのか、と思ったのであるが、当人たちはそうでもないらしい。
動物園やエレファントキャンプで調教された象しか見たことの無い観光客と違って、彼らは野生動物の恐ろしさも知っている。
不用意に近づけば、向こうの気分しだいで殺されかねない。
ひょっとして、ヘビなんかも大きいのがいるのだろうか?

今回の観測には学生3人が同行していたが男子は1人だけ。
女子学生2人の後輩になるようで、一番おとなしくしていた。
それでも来年は彼がリーダーなんだそうな。
降り出した雨がなかなか止まないので、昼食を一緒に食べたあとも、あまりあちこちを見て回ることができない。
本当なら夜まで残りたいところだったが、レンタカーの期限がある上、幸か不幸か、機材に魅力が無いので後ろ髪ひかれることもない。
来年の再会を約束して、雨の中、山を下った。
検問所ではきっちりパスポートを返してもらって。

2011-05-11

徹夜

早朝から男の子ふたりを訪ねた後、プーウィエン市内のネットカフェに立ち寄る。
店主の知人に挨拶がてら、日本にメールでもしておこうかと。
学校が休みの日のネットカフェは、近所の子供のゲームセンターと化している。
予告無くやってきたわけだけど、店が開いている以上、留守ということはないはず。
ところが店内を見回しても、画面から目を離さない子供たちしか見当たらない。
「誰かいないの?」と奥のドアを開けてみたら、そこには布団が敷かれてあって、ここのオーナーが熟睡中であった。
裏手の住居から彼の母親が出てきて対応してくれたが、今はネットはうまく使えないかもしれないとのこと。
原因はよくわからないが、細い回線をネットゲームが塞いでいるのかもしれない。
そもそも、母親は子供たちからの料金の徴収くらいしかできないらしく、パソコンの操作も恐る恐るである。
ま、どうしてもというわけではないので、メールはあきらめた。
それにしても、こんな時間まで寝ているのはどうしたのか、と聞くと、昨晩ネットオークションで張り合って、寝ていないのだという。
なんでも、母親のために宝石を落札したんだそうで、安いけどいいものを息子が頑張って手に入れてくれたと嬉しそうに話す。
じゃあ、ま、勝手に寝ててちょうだいな、というわけで、店の前で母親としばらく話をしただけで店を後にした。
実は彼が起きてくるのを待っているわけにはいかなかったのである。
もう一泊この地で泊まることにしていたが、最終日はゆっくり休養するつもりで、レンタカーはこの日の夕方までに返却することにしていた。
これからさらに250キロメートルほどを走って空港のレンタカーオフィスまで帰るには、スケジュールは厳守でなければならない。
男の寝起きを待ってボーっと過ごす時間などは無いのである。

2011-05-08

配達

五男の家から長女の実家は車で10分足らず。
土曜日なので、長女の息子は家にいた。
もうじき8歳になる彼にとっては、年に一度の僕の訪問も慣れたもの。
この数日の間に、シーサケートの母親から連絡があったかもしれない。
長女の母親もちょうど家にいたが、父親は畑に行っているとのこと。
ずっとこの祖父母に育てられていて、母親と会うのは年に1,2回帰省するときだけである。
レンタカーで最短コースを走っても330キロメートル、おそらくバス路線を乗り継いでいたら一日がかりになるはずだ。
現金収入の得られる仕事を家もまばらな農村では見つけることができず、かといって効率の悪い家業の農業を継ぐ気にも、継がせる気にもならないのだろう。
同様に両親が町で働き、仕送りをもらって祖父母が孫を育てている家庭が非常に多い。
格差が生んだいびつな家族構成といえ、日本の核家族などよりも問題は大きいかもしれない。

今回はシーサケートで預かってきた母親からのプレゼントを渡すことがなによりのお土産なので、日本からのおもちゃや雑誌は無し。
もっとも、母親がショッピングセンターで買ったリュックやボールの代金は僕が払ってるんだけど、これは息子には黙っておくことにした。

荷物を詰めたダンボール箱には僕が書かせた長女からの手紙が入っていた。
息子はそれを取り出して、祖母に読んできかせる。
何と書いてあったのかはわからないけれど、あの照れ屋の男の子が嬉しそうに自分宛の手紙を音読しているのである。
祖母も微笑みながらそれを聞いている。
長い距離を走って届けた甲斐があったというもので、これが山の郵便配達の醍醐味なのだろう。