訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2008-07-30

プーウィエンのネットカフェ(3日目)

四男と長女の家は、ともにプーウィエンの大きな湖の近くにある。
この後、マハサラカムの方向、東へ行きたいわけだが、湖を迂回しなければならない関係で、少し西へ回り込まなければならない。
そこにプーウィエンの市街があるわけで、ちょっと立ち寄るには好都合である。
ここで会うことになっているのは24歳の女の子であるが、離婚歴があり、十代で二人の子供を産んでいる。
バイクで行商をしながら子供たちを育てているのであるが、彼女の従兄弟は自宅に数台のパソコンを置いて、ネットカフェのまね事のようなことをしていると聞いている。
その従兄弟に電話をかけて待ち合わせ、やってきた二人と路上で会った。
子供たちへのおみやげに日本から持ってきた雑誌を二冊プレゼント。
付録重視で選んだ「りぼん」7月号と「ディズニープリンセス」6・7月号である。
これを渡してすぐ別れるつもりだったが、ここまで予定より早くたどり着いていたので、誘われるままに彼の家に行くことにした。
狭いスペースに並べた数台のパソコンで、学校帰りの子供たちがゲームをしたりしている。
今年は時間が無いが、来年はここからネットにつないでみよう。
日本語環境など、設定を変更する無理もここなら遠慮なく言えそうである。

冷たい飲みものを用意するからと言われて、つい上がり込んだら、出されたのはさほど冷えてもいないただの水。
ま、タイでの接待は昔からこんなものである。
実は午前中の飛行機内で出された菓子以来、何も飲み食いしていなかったので、勝手にコーラが出てくるものと期待していたのである。

2008-07-28

長女の消息(3日目)

長女の実家に着くと、父親が出てきた。
学校で孫には会ってきたことを告げ、長女の消息を尋ねる。
彼女は今もシーサケートで働いているとのこと。
仙台-東京間くらい離れているので、頻繁に戻ってくるわけにもいかないらしい。
今からシーサケートまで行くので、住所を教えてくれというと、電話番号はわかるが住所は知らないという。
とりあえず電話をかけて、翌日に会いたい旨を伝えた。
これまでも何とか訪タイのたびに連絡はしていたものの、こちらの日程に合わせて帰省することもできず、かといって、こちらからシーサケートまで行くことは、それだけで1日を費やしてしまう。
体力的にギリギリの移動なので、なかなか機会をもうけることができなかったのである。
ところが、今年紹介された新しいプランのチャイルドがシーサケート在住であることから、一泊で二人に会えるなら行ってもいいか、ということになったわけだ。
もっとも、そのために他の訪問先にしわ寄せが来てしまい、ここでも長居をすることができない。
本当は、ナットが学校から帰ってくるのを待って、しばらく遊んでもやりたいのであるが、そうすると今日中にシーサケートへ到着できなくなってしまう。
しかも、この近辺では、もう一箇所立ち寄らなければならないところがある。
プーウィエンの市街はここから20キロほどであるが、プランの現地事務所が現在どうなっているかを確認したいのと、その近くに住んでいる友人に会うためである。
ほとんど回り道にはならないが、ゆっくりしている暇は無いので、これもほとんど通過するだけになりそう。

2008-07-27

近くて遠い(3日目)

四男の通う学校から、長女の息子が通う学校まで、直線で4キロほどしかない。
ところがその間にはまともな道路は無く、農地と雑木林がどこまでも広がっていて、車がやっと通れる程度の未舗装のあぜ道が、あみだくじのように走っているのである。
いくつもの丁字路で、すべて正しい方向へ曲がらないと、方向感覚が無くなってしまい、まったく逆方向へ走っていっても気がつかないということになる。
ここはGPSの指し示す方向を頼りに、慌てず、ゆっくりと車を進める。
2,3回悩ましいところがあったが、ほぼ最短距離で、めざす集落にたどり着いた。
そこは長女の家から50メートルほどの場所だったのだが、家の周囲の草が茂っていて、よくわからなかった。
ただ、そこから先の学校への道に覚えがあったので、まずは学校へと向かった。
学校へ着いて車を降りると、近くにいた女の子が「ナットは教室にいる」と指さしてくれる。
去年もここへは来ているので、僕のことを覚えていてくれたらしい。
クラスメイトを訪ねて来る外国人ってのは印象に残るのだろう。
教室へ行くとナットが出てきたので、ここでも「ドラえもん」を含む本を何冊かと、日本の雑誌をおみやげに渡す。
カメラを向けると友達がたくさん寄ってきて、肩を組んでポーズをとる。
先生が撮ってくれるというので、僕も子供らの中に入って、一緒に写る。
その写真からの推定で、ナットの身長はおよそ125センチといったところか。

学校を出て長女の実家に戻ろうとしたが、やはり茂った草のせいで家を見落としてしまう。
近所の家で尋ねたりして、うろうろしていると集落を抜けてしまった。
再び引き返して、えいっと、道なき道(と思った方向)へハンドルを切ったら、そこが長女の家だった。

2008-07-26

プーウィエン(3日目)

国内線を乗り継いでコンケーンに到着したのは正午過ぎ。
これからファミリー4つ、学校3つを訪ねた後、遥かシーサケートのホテルまで行かねばならない。
通常なら、最低でも、もう1泊するところであるが、翌日シーサケートのコミュニティ訪問が金曜日となっていて、プラン事務所が休みとなる週末に延ばすわけにはいかないのである。
明日の朝には、待ち合わせのホテルで待機しておく必要があるのだ。
レンタカーはすでに予約してあったので、コンケーン空港ですぐ車を受け取って、プーウィエンへ向け、国道を西へ走る。
これまで何度も通った道なので迷うことはない。
80キロを1時間強で走って、まず四男の家を訪ねる。
両親は畑へでも出ているのか、家は無人だった。
四男本人は学校にいるはずなので、近くの小学校へ行ってみる。
先生に声をかけると、すぐに四男を連れてきてくれた。
毎年、大きくなったなあ、って抱き上げてたけど、今年からパス。
まもなく11歳だから、落第していなければ、小学校5年生か。
友達ともうまくやっているようだし、学校が楽しそうだから、まずは安心。

チェンマイで買ってきた本を4冊と日本から持ってきた組み立て恐竜パズルがおみやげ。
堅い本ばかりだと喜んでもらえないかもしれないので、「ドラえもん」を加えてある。
あまり漫画を扱っていない書店でも「ドラえもん」だけは何十冊も並んでいる、あいかわらずの人気キャラクターぶりで、これを買っておけば外れはない。
ただ、最近は韓国漫画の進出が著しく、日本漫画を追い抜きそうな勢いである。

2008-07-22

バンコクのタクシー(3日目)

スワンナブーム空港で乗ったタクシーの運転手は若い男性で、模型が趣味だという。
ドンムアン空港では何時の飛行機に乗るのかと聞いてくるので、11時だと答えた。
「少し時間があるけど、高速道路を使わずに下を行きましょうか?」
確かに、スワンナブーム空港で無駄な時間が無かったから、多少の余裕はある。
といったところで2時間強、タクシーで1時間程度とみていたので、チェックインやら手荷物検査やら考えると、時間が余るというほどではない。
それにしても、タクシーなら両空港間は高速利用が当たり前であろう。
走りやすくて、時間も短いし、おそらく燃費も良いはずである。
なにより、高速利用料金は乗客が払うのがルールなんだから、運転手にデメリットは無い。
これはあくまで親切心からの申し出であったようだ。
非常に不安ではあったが、こんなことを言う運転手が気に入ってしまい、それじゃあ、せっかくなのでと、普通道路で行ってもらうことにした。
が、案の定、たちまち渋滞に巻き込まれてしまった。
全ての車線を、車が隙間無く埋め尽くしていて、歩くような速度になる。
しばらくトコトコ走ってから、運転手が振り返って「どうしますか?」と不安そうに言うので、「OK、やっぱり高速を使ってくれ」。
その時の彼の嬉しそうな様子からすると、先の提案をかなり後悔していたんだと思う。
何十円かの高速料金を払う払わないの問題じゃない。
ましてや、少々時間を無駄にしたってことも、どうでもいい。
正直で親切な運転手に当たったという幸運だけで、十分おつりを貰った気分になったのである。
だってバンコクには、観光客の気分を損ねることを職務だと思ってるようなタクシーも相当数走っているのだから。

2008-07-20

不便になった空港(3日目)

目覚ましで午前4時に起きた。
と思ったら、腕時計は午前2時である。
目覚まし代わりのPDAだけ、時差の切り替えを忘れていたらしい。
フロントに頼んでおいたほうがよかったか、と思っても後の祭り。
(もう一度寝るか? しかし、それで起きられるか?)
結局、簡単に寝つけそうになかったから、2時間、本を読んで時間を潰す。
またも睡眠不足の長距離ドライブになりそう。

夜明け前だったが、ホテル前のトゥクトゥクで空港へ向かう。
朝一番のチェンマイ発バンコク行き、そしてバンコク発コンケーン行きに乗り換える。
ところが、ここで面倒なことがある。
時刻の関係で、チェンマイ発の便はスワンナブーム新空港へ降りるのだ。
で、コンケーン行きはドンムアンの旧空港発となる。
これは成田と羽田の関係に似ていて、国内線の多くは旧空港を使用するものの、観光都市チェンマイは一部の便が新国際空港のほうへ接続しているのである。
したがって、バンコクでは両空港間を自力で移動しなければならない。
間抜けなことに、まだ鉄道が完成していないので、基本、バスかタクシーということになる。
空港関係者などが利用するバンのシャトル便が50バーツと、安くて速くて便利なのだが、新空港側から利用したことがないので乗り場を探さなければならない。
都バスを利用するには乗り場が遠い、というか、バス乗り場までもバスで行かなければならないのだ。
ここはもう行列ができていなければタクシーで、と覚悟はしてきた。
ここで特定の乗り物を探してウロウロしていたら、次のコンケーン行きは夜になってしまうから。
飛行機に乗り遅れるかも、というのは精神衛生上、非常によろしくない。
料金を考えると悩ましいところではあったが、ここはもう、安心を買ったと考えることにして、清水の舞台からタクシーに飛び込んだ。

2008-07-18

待ち合わせの裏技(2日目)

Big-Cには予定通りについたものの、さて、この広い店舗でどうやって探すか?
とりあえず携帯電話にかけてみると、ここにいることは確からしいが、タイ語で場所の説明はよくわからない。
で、こんなとき、どうするか。
まず、辺りを見渡して、暇そうな人間を探す。
目の前の新車展示コーナーにはさすがに千客万来とはいかず、そこの女性はテーブルに雑誌を広げている。
彼女にお願いして、携帯電話を手渡し、代わりに話してもらう。
基本的にタイ人は頼まれ好きなのである。
「この先の食べ物屋にいるらしいよ」
お礼を言って、そちらに向かう。
この辺りか、と思えるところで、再び電話をして、またまた近くの男性にお願い。
これでこちらの場所もわかったらしく、彼女のほうから見つけてくれた。

喫茶店でパフェを食べながら彼女の訪日について、いろいろ話をする。
日本の彼氏のことは本当に嬉しそうに話す。
もともと成田から群馬までの距離なんかを訊かれていたので、関東と群馬の地図をお土産に持って来ていた。
もっとも、それを見ながら単身訪ねて行くってのは論外で、成田までは彼氏に迎えに来てもらうという段取りに念を押しておく。
タクシーなんか使ったらとんでもないことになっちゃうから。
関西の学校に留学することも考えているそうで、なかなか頼もしい。
結婚はまだ考えられない、なんて言ってるので、日本のファッション雑誌と結婚情報誌を渡して煽っておいた。
せっかく日本人と付き合ってるのに、ぐずぐずしてて冷めちゃったらもったいないから。
バイクで来たという彼女とはここで別れる。

この後、明日訪ねる子供たちへのお土産に本を何冊か買って、一度ホテルに戻った。
レンタカーの中を空っぽにし、チェンマイ空港まで返却しに行く。
この日もタイ式マッサージを頼んで、目覚ましをセットして早めに寝る。
翌日は朝4時起きで20時間ノンストップ・オリエンテーリングの予定である。

2008-07-16

再びランプーンへ(2日目)

前日がハードだったため、起きたのは昼前だった。
明日もまた厳しいので、この一日は多少ゆっくり過ごすことにしていた。
とりあえず元気が戻ったみたいなので、まずチェンマイ大学へ行ってみる。
勝手知ったるNARITのオフィスへ入っていくと、無人で照明もついていない。
ま、事前に連絡を取っていないのだから文句は言えない。
ホテルに戻って、教授にメールをいれてみた。

僕「こんにちは。昨日からチェンマイに来ています。いまどちらですか?」
教「明日までチェンマイにいます。よければ物理学部のオフィスで会いましょう」
僕「ありがとうございます。明日朝はコンケーンに行きますので、来年お会いしましょう」
教「それではよい旅を。私は年末に日本へ行きます」

というわけで、微妙にすれ違ってしまって、インタノン山の天文台の進捗状況を尋ねることができなかった。
ま、いいか。

特にすることも無くなったので、今度は友人の女子大生に電話する。
彼女は日本語を勉強していて、今はネットで知り合った日本人青年と熱烈な遠距離恋愛中なのである。
年末に彼に会うため、初めて飛行機に乗って単身日本へ行くというのである。
昔、チャイルドに会うためタイへ来た自分を思い出して、他人事とは思えない。
今回、具体的なアドバイスが少しでもできればと思って、時間があれば会うことにしていたのである。
彼女は今日は授業も無く、実家のランプーンに戻っているといい、会う場所にはBig-Cを指定してきた。
昨日夕食をとったところである。
よく知っているから、3・40分で着くと伝えて、車を出した。

2008-07-15

タイの警察って?(1日目)

ランプーンの次女宅からチェンマイへ向かう頃には、すっかり暗くなってしまっていた。
道中、警察による検問にあう。
なんらやましいところは無かったのであるが、警官が脇道へ入れという。
理由を聞いても答えないで、とにかく入れの一点張りである。
とりあえず、言われるままに入っていくと、その先のスペースには、かなりの数の車が並んでいる。
いずれも運転手は乗っているが、皆、不安そうな顔で様子をうかがっている。
同じように車を停めて、次の動きを待ってみるが、そこに警官がやってくるわけでもない。
やがて他の車からは、降りて辺りの様子を見に行く人たちがでてきた。
しばらくして引き返してきた者は、そのまま車に乗って再び道路へ出て行く。
残った車もそれに続いて、次々にそこを出て行く。
何だかよくわからないが、特にそこで取調べや反則金の徴収などは無いようなのだ。
それぞれ不安そうに出て行くほかの車についていったら、別に咎められることもなく、道路に戻れた。
いったいあれは何だったのだろう??
単に脅しをかけただけで、スピード違反の抑止にでもしているつもりなのだろうか?
気の毒なのは隣に車を並べていた主婦である。
彼女は空き地の境の杭に気がつかずに乗り上げてしまい、タイヤを切ったらしい。
タイヤ交換くらいは警官にやらせたかしら?

とんだ寄り道で、ホテル到着が遅くなってしまった。
前日から連続44時間寝ていない。
明日以降のこともあるので、ここはしっかり疲れをとっておかねばならない。
さっさと寝てしまいたかったのではあるが、しかし、ここはチェンマイ、疲れをとるにはもうひとつ選択肢がある。
というわけで、内線をかけてヌアット(タイ古式マッサージ)を呼ぶ。
こわばった肩や足にはよく効くが、寝るのはさらに2時間後となってしまった。

2008-07-14

再び孫娘と(1日目)

インタノン山からとんぼがえりで次女の家まで一気に帰る。
片道90キロを3時間で楽に往復できるっていうのもタイの田舎道ならでは。
食事に行こうか、ということで、次女の母親、娘のニパダ、そしてなぜか近所のおばさん一人の3人を乗せて、チェンマイ方向に20キロほど車を走らせた。
ここに大型ショッピングセンター「Big-C」のランプーン店がある。
一日まともな食事をしていなかったので、まずはここのフードコートで食事。
それから二手に分かれて店内を散策である。
僕はお目当てのCD店と書店巡り。
おばさん二人は食料品のコーナーへ向かう。
で、ニパダは驚いたことに、祖母と離れて僕のほうについてきた。
足手まといではあるんだけど、結構うれしい。
CDショップでは退屈だろうからと、さっさと本屋に移動。
そこでも自分の本を探すより、彼女の行きたいところへついて回るだけ。
結局、自分用にはポケット本1冊、ニパダには絵本と粘土を買ってやっておばさんグループに合流した。
最後はおみやげにドーナツを買って、家まで送ることにする。
道中、疲れてしまったのか、ニパダは寝てしまった。

家に着いて、そっと降ろそうとしたら目を覚ましてしまったので、さようならだと告げる。
とたんにグズってしまって、もうこっちを向いてもくれない。
今までは、別れのときに泣かせることが楽しみでもあったのだが、今回はちょっと事情が違う。
半年前に母親が出て行ったきりなのである。
自分が置いていかれるということに、トラウマとは言わないまでも、相応の不安を感じている可能性がある。
気にはなるけど、機嫌をとろうとしても逆効果だろう。
結局、バイバイすらしてもらえないまま、そっと車を出した。

2008-07-12

ドイ・インタノン(1日目)

次女の家で午後1時過ぎまで過ごした後、タイ国の最高峰インタノン山に向けて出発した。
ここまでに60キロほど走ってきているが、インタノン山はさらに90キロ先である。
おもしろいのは、ランプーン県を抱え込むようにチェンマイ県があるため、インタノン山へ向かうと再びチェンマイ県に入ってしまうことだ。
タイの最高峰といっても標高2565メートルということで、ほぼ山頂まで車で楽に登れる。
予定では、このインタノン山で年末に開所予定の国立天文台を見学し、麓に適当に宿を取り、翌日チェンマイ市街に戻るつもりであった。
GPSと事前に用意した詳細な道路地図のおかげで、ほとんど迷うことも無くインタノン山に到着した。
周辺は国立公園になっているため、入山料が必要で、430バーツ(1300円ほど)も取られてしまった。
おそらくタイ人用チケットが別にあるはずなのだが、一人きりではタイ人のふりもできない。
ほとんど迷わなかったので2時間ほどで山頂に到着したのだが、そこには軍のレーダーサイトとしょぼい案内所があるだけ。
下界を見下ろすポイントがいくつかあるようだが、霧が濃くて、景色を楽しむなんて到底できない。
肝心の天文台であるが、案内所で尋ねると、そこにあるだろ、と指差す。
確かに小さな天文ドームが敷地内にあるのだが、それはおそらく調査用のモニター天文台である。
そばの柱に気象センサーも設置してあるので、ここで観測環境を調べていることには間違いない。
「そうじゃなくって、もっと大きいのができてるんだろ?」
「いや、天文台はそれだよ」
ひょっとして、工事はまだ手つかずなのか? それとも、どこか途中の枝道の先なのだろうか?
いずれにしても、こいつからはもう情報は得られない。
本当はチェンマイ大学に先に寄って確認してから来るべきだったのだが、孫娘に早く会いたい一念で後回しにしてしまったのだ。
ま、いいか、もともと二の次、三の次の目的であって、どうしても見たかったわけじゃなし、無いものはしょうがない。
というわけで、ここはもう、麓での宿泊もやめちゃって、さっさとランプーンまで引き返すことに決定。
っていうのも、やっぱりニパダと遊んで過ごすのが一番楽しいからなんだけどね。

2008-07-11

次女の消息(1日目)

次女についてはニパダと遊びながら、母親や近所の人から、少しずつ情報を聞きだすことができた。
クルンテープ(バンコク)に行ったと言っているものの、実際にはサムットプラカーン県なのだそうだ。
これは東京、東京と言ってるが、実は千葉、といった関係で、成田と同じく、タイの新国際空港もバンコクではなく、このサムットプラカーンにある。
ということは、帰国の直前に訪ねることも思ったより簡単では?
それどころか、地図を広げて住所を確認しながら絞り込んでいくと、まさに新空港のすぐ裏手に住んでいるようなのである。
これはもう、帰国までに次女に会って、ひと言説教しないわけにはいかない。

昨年写したデジカメ画像をノートパソコンでニパダに見せていると、母親の写っているコマを見て、小さな声で「メー・ノック(ノックおかあさん)」とつぶやき、そのままいつまでもじっと画面を見つめているのである。
カメラ目線の母親の笑顔を凝視しながら、頭の中では何かを一生懸命考えている。
なぜ会えないのか、いつ帰ってくるのか、といったことを思っているのであろう。
おそらく、祖母にも何度も尋ね、しかし決して納得はできていないはずだ。
だから、母親のことを思い出すたびに、わからないなりに必死に考えているのだと思う。
こんな小さな子を置いて出稼ぎなんて、とんでもないことである。
もとより父親がいないわけであるから、せめて母親は一緒にいるべきである。
どうあっても、この子の思いを次女に伝え、早急にランプーンへ帰るよう説得しなければならない。
返事しだいでは本気でお仕置きする必要がある。

2008-07-09

ハローキティ(1日目)

家に帰ったら、早速おみやげの雑誌を広げる。
今回、ニパダに用意したのはサンリオから出ているキティをメインにした雑誌「キティとあそぼ!」6月号である。
プラスチック製のランチボックスが付録につくほか、シールが400枚近くあって、本誌の大部分はそのシールを使った知育教材になっている。
ちゃんと教材の指示にあわせてシールを正確に貼っていく様子を見ると、賢くなったなあと感心してしまう。
これは少し難しいかなと思っていたのは、1年前のイメージしか持っていなかったからなのだ。
で、ふと見るとニパダの着ている服がまた、キティのプリント柄なのである。
タイでは幼児から女子大生まで、サンリオのキャラクターが大人気であるが、しょっぱなからシンクロするとは思っても見なかった。
もっとも、この服が正規品とは限らないのであるが。


とにかく幼児というものは、国を問わずシールが大好きである。
このほかにも100円ショップで買ったディズニーのシールなども持っていったのであるが、突然ニパダがそれを手にして、奥の部屋へ走っていき、すぐにまた戻ってきた。
ところが、手にしたシールの台紙には、すでに耳しか残っていない。
(うわあ、どこに貼りまくってきたんだ? おばあちゃんに叱られなきゃいいけど)
とても現場を確かめに行くことはできない。

2008-07-07

幼稚園訪問(1日目)

次女の娘ニパダが通っている幼稚園は、次女の実家からちょうど2キロの道路沿いにあった。
さすがに道路に面していると、園児の安全のために、門にはかんぬきがかかっている。
門の前に車を置いて、園内に入っていくと、ちょうど園児全員がテーブルについて、早めの給食をとっているところだった。
祖母に呼ばれて出てきた孫娘は、僕に向かって、両手を合わせてにこっと笑い、きちんと腰を下げる挨拶をした。
面影はちゃんとあるものの、一年間の成長振りは目を見張るものがある。
何より、ちゃんと僕のことを覚えていてくれたらしいのが嬉しい。


給食は薄味のチャーハンといったところか。
他におかずがついているようではなかったが、食べ終わった子は食器を持って大鍋のところに並び、おかわりをよそってもらっている。
飲み物は各自で水飲み場へ行ってコップで飲み、飲み終わったら、またテーブルへ戻るのである。
ニパダはおかわりをせず、食べ終わったら一人で別室へ向かい、帰り支度を済ませてきた。
車へ向かう道中、手を差し出すと、ちょっとこちらを見上げてから手を握ってくれた。
手をつないでチビの歩調に合わせてゆっくり歩く、これだけで日本のじいちゃん、この瞬間が至福の時なのである。
車までもっと遠かったら良いのに。

2008-07-05

初日からいきなり不在?(1日目)

前日は午前4時起きで仕事、そのまま午後5時まで勤務の後、電車3本・3時間かけて関西空港へ行く。
深夜発の飛行機でタイ入りして、そのまま国内線に乗り継ぎ、タイ北部チェンマイ県に降り立ったのが午前9時である。
ここまでで、すでに31時間寝ていない。
それでも、かわいい孫娘に会えると思うとまったく眠たくはない。

空港でレンタカーを借りて、隣県のランプーンに向かう。
久しぶりのマニュアルシフト車もキビキビ走って気持ちいい。
見慣れた景色を懐かしみながら、勝手知ったる次女の家に到着。
近所の人に声をかけると次女の母親を呼びに行ってくれた。
母親に挨拶して、次女のことを聞くと、いないと言う。
いつ帰るって言ったら、なんと、今はクルンテープ(バンコク)で働いているとの答え。
(えーーっ、今年はパーフェクト目指して来たのに、いきなりガーターかよ!)

幸か不幸か、次女は娘を母親の元に残して行ってるので、幼稚園に行けば孫娘とは会えるそうだ。
車に母親を乗せて迎えに行くことにする。

なお、次女については、クルンテープを経由する際に、何とかコンタクトを試みることになって、パーフェクトへの可能性は引き続き残されることになったのであった。

2008-07-04

出発直前大トラブル(0日目)

最近はe-チケットということで、航空券はメールで送られる書類をプリントアウトしたもので代用するようになった。
航空会社にもよるらしいが、空港で搭乗券を受け取る際、航空券の代わりにチケット購入に使ったクレジットカードを提示する必要がある。
今回の出発日当日、あろうことか、このクレジットカードを紛失してしまった。
クレジットカードの紛失自体が大変なことなのであるが、このままでは今夜、正確には日付が変わった直後なので明日未明ということになるが、飛行機に乗せてもらえない。
航空会社に問い合わせ、何とか紙の航空券に切り替えてもらえることになったが、それにはカード会社からカード紛失について連絡が行かなければならないとのこと。
手続き上、締め切りまであと2時間!
ところが、カード会社のほうは、会員の個人情報を他社に渡すということは基本的にありえないという。
両社の担当者の誠意ある対応のおかげで、詳細は省くが、何とかぎりぎりに段取りを完了できた。
(本当にお手数をおかけしました。今後、一層積極的に御社をご利用させていただきます!)

毎年ハードな日程で、無事に帰国することが最大の目標なのであるが、そもそも今年は、無事に出国できるのか??