訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2008-09-26

呼び出し携帯電話(5日目)

続いて向かったのは五女の家である。
グーグルアースの詳細データからギリギリ外れているので、正確な位置は確認できていない。
昨年は途中まで五女が迎えに来てくれていたのだ。
幸い、それらしき集落が簡単に見つかったので、そこへ入ってすぐに近所の人に尋ねてみた。
こういうときに、学校の先生が同行してくれたのはありがたい。
五女の家はすぐ近くで、母親と妹が出てきてくれた。
五女は今、大学の寮で暮らしていて、週末にも帰っていないらしい。
ここからサコンナコンのバスターミナルまで30キロ、そこから大学はさらに20キロ先にある。
確かに帰宅は困難だろう。
そもそも家から最寄りのバス路線まで何キロもあるのだから。

今日、サコンナコンに行ったら会えるかと聞いたら、電話で連絡を取ってくれることになった。
母親は電話を持っていないのだが、携帯電話を貸そうとしたら圏外だった。
タイは携帯の普及率が高いので、よほどの田舎でも圏外は珍しい。
母親は近所の商店で電話を借りて、何度もかけ直しをしている。
相手と話しているようなのに、なぜ何度もかけ直すのか不思議だった。
これは後になってわかったことだが、五女も電話は持っていないので、彼女に連絡するためには、彼女の友達の携帯にかけるのである。
うまく五女と一緒にいる友達にかかれば、そこで電話を代わってもらえるわけだ。
そうやってようやく、今夜大学の正門前で待っているとの返事をもらった。
直接話もしたかったが、双方とも借りた電話ではしかたがない。

先生二人に時間を割いてもらっているので、ここにも長居はできない。
五女の友達の電話番号を控えて、次は三女の実家へ向かうことにした。

2008-09-23

いきなり父の日(5日目)

話が一区切りついたところで、四女が突然立ち上がり、家の中に入っていった。
何かプレゼントがあるらしい、と先生が教えてくれた。
すぐに出てきた彼女が持っていたのは、小さな安っぽい紙製の造花のブローチである。
(なんだ、期待させといて。これはまた、えらく子供騙しな贈り物じゃないか。っていうか、その辺にもっとましな物は無いのか?)
拍子抜けしていると、そばに寄ってきてシャツの胸にピンで留めてくれようとする。
そんなもの照れくさいばっかりなのだが、仕方が無いので我慢してつけて貰う。
留め終わったら、四女はいきなり一歩下がって這いつくばり、頭を床につけるようなお辞儀をした。
(何だ、これまた大袈裟な)
このときは何がなんだか、さっぱりわからなかったのである。

事情が分かったのは帰りの車中でだった。
車に乗って、さっさとブローチを外していると、そこに貼られた小さなシールに「ラック・ポー・クルン」と書かれているのを見つけた。
「ずっとお父さんを愛しています」
どうやら、このブローチは父の日グッズらしい。
タイの父の日は12月5日である。
四女は町で売られていた父の日グッズの中からこれを買い、僕が来るまで半年間、ずっとしまっていたことになる。
そうすると、さっきの跪拝は父の日の正式な作法に則った儀式だったか。
このとき、父親も子供の健康と成長を喜ぶ、それなりの仕草があるのだが、悲しいかな、鈍い日本人は無愛想に座っていただけなのであった。

彼女の父親は数年前に病気で亡くなっている。
父の日に実父の代わりとして僕のことを思い出してくれたのだ。
(そうか、父の日だったか。父さん、、か)
今になって涙が出そうになり、我慢して車を走らせるのに苦労した。

2008-09-17

四女宅訪問(5日目)

先生二人を乗せて、まず向かったのは4キロほど離れた四女の家。
彼女の家の近くには小学校と中学校が一緒になった小さな学校があって、タオンゴイに住む4人の子のうち、一人だけこの学校を出ている。
中学卒業後はサコンナコン市街のテクニカル・カレッジに入学、今は3年生のはずである。
留守かもしれないと思いつつ家に着いたら、都合よく、一人で留守番をしていた。
さっそく、先生を通訳に最近の状況を聞いてみると、カレッジは今年でやめるそうである。
通常の高校卒業にあたるところで一区切りあるのだろう、進級するには金がかかるということで諦めたらしい。
それでも中卒と高卒相当では大きく違ってくる。
中学を卒業するときには、進学しなければ、バンコクへ出稼ぎに行くしかなかったが、カレッジを出たら銀行員になるという。
簿記やタイプを3年間学んだ甲斐があったようだ。

サコンナコンへ(5日目)

この日はサコンナコンで長男、三女、四女、五女と4人の家を訪ねなければならない。
問題はサコンナコンがシーサケートから350キロあるということ。
山越えを避けるため、まずはウボンまで東進し、ムクダーハンまで北上、それから西へ向かってサコンナコンに入ることになる。
未明にシーサケートを出発して、平均時速70キロで5時間走り続ければ、なんとか午前中にサコンナコンへ到着するだろうというのが当初の計画である。

朝は早くに目が覚めたので、4時半にホテルを出て、朝食も取らないまま、休むことなくひた走った。
サコンナコン市街の手前で折れて、まずは子供たちの出身地であるタオンゴイの町へ入る。

長男・三女・五女の通っていた学校の前を通り過ぎるとき、チラっと見ると校門が開いていた。
土曜日で休みのはずなのだが、ちょっと覗いてみることにする。
ムクダーハンで少し行き過ぎてしまったことで走行距離は356キロ、このとき時刻はちょうど9時だったので、平均時速79キロで来た計算になる。
出発後しばらく雨だったのだが、天気がよければ時速80キロも可能だったかもしれない。
高速道路ではない一般道なのだから、まあ上出来である。

勝手知ったる校舎の事務室へ入っていくと女の先生が一人仕事をしていた。
そこへやって来たのは顔見知りの理科の先生で、あろうことか、もう一人英語の先生を電話で呼び出して、二人で子供たちを訪ねるのに同行してくれるという。
来てしまったものを断るわけにもいかないので、ありがたく一緒に家庭訪問していただくことにした。

2008-09-11

母子の写真(4日目)

長女の彼氏と別れて、長女と郊外のレストランへ食事に行った。
食事しながらでは、積もる話もまどろっこしい。
なにより、長女の息子、ナットの今後が気がかりだった。
一応、結婚後はナットを引き取って、一緒に住むつもりであることはわかったが、先方の家族とうまくいくという保証はない。
確かに義父も悪い人間ではなさそうだが。
結局、料理を楽しむ余裕もないまま店を出る。

次に長女が案内したのは彼女が住んでいる家だった。
小ぎれいな借家で、番犬としてだろう、家の中に犬を2匹放している。
「父さんにこれをあげます」
渡されたのは、何かのオマケの写真たてだった。
丸く切り抜かれた写真には、2年ほど前のだろうか、長女に抱かれた幼いナットが写っている。
おしゃれしてどこかのスタジオで撮ったものらしい。
この部屋に飾っていたものだろうから貰うわけにはいかないと遠慮したが、どうしても父さんに、と言われて受け取ることにした。
毎年プーウィエンに行っているから、ナットの写真は僕のほうがたくさん持っているんだけどね。

このあと、ホテルに戻って昨日撮ってきたナットの写真を見せたり、PC経由で今後のことを話し合う。
とりあえず、来年また来るまで連絡を取り合うことと、写真を送ってやることを約束して、長女を送り出した。

2008-09-09

長女ビックリ!(4日目)

長女はバイクでホテルまでやってきた。
そのバイクを駐車場において、車で彼女の家へ行くことにする。
郊外の奥まったところにある家に着くと、上半身裸の年配の男が出てきて、長女が紹介する。
「お父さんです」
(えっ? おまえのお父さんなら、昨日プーウィエンで会った人だろ...)
いったい、どういうこと?
「彼のお父さんです」
「え~~!!」

こいつは一人息子を両親に預けっぱなしで、自分は新しい男と付き合ってんのか!
そのとき、家の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
(ま、まさか?)
「ひょっとして、もう子供がいるのか?」
これには、彼氏の父親が笑いながら答えた。
「二人はまだ一緒に住んでいないから、子供はいないよ」

ようやくわかってきたのは、長女はここに住んでいるわけではなく、僕に紹介しようとして、彼氏の家に連れてきたということ。
確かに、25歳独身女性の交際は、僕がとやかく言う筋合いのものではない。
むしろ、真っ先に紹介しようとしたのだから、ここは良しとしなければならないのかも。
その肝心の彼はというと、仕事に出た後らしい。
で、今から彼の働いているところへ行こうということになった。
聞けば、市場でラーメンを売っているという。
バザールの一角で、両手を広げれば両隣に届くようなスペースを借りてやる店である。
(あ~、また貧乏人と付き合ってやがるんだ)
どうせ今度も顔で選んだんだろう、前回の失敗がまったく活かされていないようだ。

車を遠くに置いて、人込みをかき分けながらバザールの中を進んでいって、ようやく長女の彼氏に会うことができた。
って、おい! 何だ、この年齢不詳の貧相な男は?
今回、顔も二の次かよ!!

2008-09-04

いろいろ連絡(4日目)

学校見学から六女宅へ戻り、さらにプラン事務所へ帰った。
あとはホテルまで送ってもらって、プランの訪問は終わりになる。
が、こちらはそうも言ってられない。
まだまだ訪チャイツアーは折り返し点にも来ていないのである。
プランの事務所でスタッフのタオさんに頼んで、電話をふたつかけてもらった。
まず、プーウィエンで聞いてきた長女の連絡先である。
長女はこのシーサケートで働いているので、今晩ホテルで会えるかどうかを聞いてもらった。
午後7時にホテルへ行くとの返事をもらって、まずは一安心。
彼女はこの数年間、最大の不安材料だっただけに、いよいよ会うことができると思うと、逆に力が抜けてしまった。
次に、ノンカイの三男が通う学校にもかけてもらう。
こちらはノンカイ到着が明後日の日曜日になることから、学校で面会することができない。
しかも、三男とはまだ面識が無いため、自宅を直接訪問することもできないのである。
そこで、午前11時に学校前で本人と待ち合わせができるよう、話をつけてもらったのである。
こちらも簡単に了解が取れた。
問題は、何百キロも離れたノンカイへ、道中、何人もの子供たちに会いながら、予定通りの時刻にこちらが到着できるかという点である。
なにしろ、当日遅れそうになったとしても、途中での連絡は不可能なのであるから。

ホテルまで送ってくれたタオさんたちとは来年の再会を約束してお別れ。
食事をする気にもならなかったので、ロビーのPCから自宅へEメールを送ったり、プラン岡山の掲示板に書き込んだり、、。
とかなんとかやっているうちに、長女との再会が近づいてきた。
何度も何度もホテルのロビーと表の道路を行き来する。
フロントの連中は、それを見て勝手な想像をしてるんだろうなあ。
どう思われているかは十分見当がつくけどね。