訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2006-08-30

次女ナパラ(その1)

ナパラはプランのファースト・チャイルド。年齢ではセカンド・チャイルドが1歳年上だったので、ウチでは「次女」の扱いである。
1986年からの付き合いだが、当初は2歳ということもあって、先の長さに嘆息したものだ(文通できるまで、あと何年かかるんだ、って思った)。
それが、卒業年齢の18歳もあっという間に過ぎ、いまや一児の母なのだから、月日の経つのは早いものである。


ともあれ、孫娘の可愛さは別格。性格が変わるね。
数日前にも電話をかけたのだが、ナパラそっちのけで娘のニパダと話し込んでしまった。
とはいっても、先方は嬉しそうにまくしたてるが赤ちゃん言葉で何を言ってるかわからない、こちらもどうせ通じないんだからと、日本語で言いたいことをしゃべるだけ。
で、おたがい至福の時間を過ごしたわけだから、コミュニケーションは言語じゃないな、とつくづく思う次第。
(写真は2006年6月の訪チャイ時)

2006-08-23

組織の名称

20年前、「フォスター・プラン協会」を通じて、タイの子供を支援する「フォスター・ペアレント」になった。
のちに、「日本民際交流センター」を通じて、「ダルニー奨学金」のドナーになった。
この2団体については、現在も継続して支援していて、思い入れも深いのだが、実はタイなど現地ではこの名称が通じなかったりするのである。
団体や活動が「知られていない」のではない。
関係者自身が、この名称を知らないのだ。

「フォスター・プラン」は、かつて国際里親制度などと紹介されていたが、誤解を避けるため、里親を意味する「フォスター」を取り去り、「プラン」もしくは「プラン・インターナショナル」と名称を変えた。
日本事務局も最近それに合わせ、「プラン・ジャパン」と名乗るようになったが、組織の名称としては、まだしばらくは「日本フォスター・プラン協会」のままでいくそうだ。
ちなみにタイでは「プラン・インターナショナル・タイランド」となる。
あわせて「フォスター・ペアレント」は「スポンサー」という言い方に変更された。
したがって、現地事務所に到着して、「日本のフォスター・ペアレントです」と名乗っても、「それ何ですか?」と言われかねないのだ。
「だからフォスター・プランのぉ、、、」なんて言っても同じくダメである。
「プラン・ジャパンのスポンサーです」と名乗るのが正解。
もっとも、古株のスタッフなら分かってもらえるとは思うのだけど。

「日本民際交流センター」のほうも難儀である。
最初の奨学生の名にちなんだ「ダルニー奨学金」という名称で日本では知られているが、現地の窓口は「EDF」という。
「The Education for Development Foundation」ということらしい。
奨学生の学校を訪ね、「ダルニー奨学生のドナーです」と言っても、たぶん分かってもらえない。
「いや、日本のミンサイのね、」って言ってもダメ。
先方の勘が鋭くて「ひょっとして、EDFのスポンサーですか?」なんて聞かれたところで、今度はこちらが「EDF」を知らなかったりするので、「いや、それとは違います」なんて言っちゃったりして、ますます混乱。

いずれの場合も、それなりに理由のあることだし、実際にはそれほど困る問題ではないのである。
ただ、現地を訪問したスポンサーなりドナーの方が、現地事務所や学校で自己紹介するや、「ハァ?」なんて言われてしまうと慌ててしまうであろう。

初めて訪問を計画する人は、とりあえず関連用語をキチンと確認しておくことをお勧めする。

2006-08-18

訪チャイ秘密兵器(その2)

プランのチャイルドを訪ねるときは、必ず現地スタッフが車で送迎してくれる。
というか、現地スタッフが立ち会わない面会は禁止なのである。
しかし、プランを卒業したチャイルドに会うためには独力で家までたどりつかなければならない。
目印の多いところは問題ない。
が、ひたすら田舎道を走り続けていると、よく似た交差点やカーブが何度も現れる。
距離感が無くなってくると、10キロ以上行き過ぎても気がつかないということもある。


で、登場するのが、携帯用GPS受信機、エンペックス社の「map21」。
非常に高機能なメカで、パソコンから独自の地図データを読み込ませることもできるため、現地の地図上に軌跡を表示するという、簡易カーナビ的使い方までできる。

特にコンケーンに住む長女の実家は、何度行っても道に迷う。
「map21」のおかげでなんとか無事に到着するのであるが、いつも迷ってから取り出すので、深い森を抜けたり、ぬかるみや華奢な橋にビクビクしながら、毎回新しい難コースを開拓するはめになる。
現在地から目的地の方向は示してくれるのだが、広くて安全な迂回路を自動的に選択する能力までは無いからだ。
12回目になる今年の訪問でも、道に迷った挙句、車幅カツカツのあぜ道を長い時間かけて通過することとなった。
「map21」を出発時から起動しておけば何の問題もないのだけれど、今回こそは記憶だけでたどりついてやる、っていう持ち前のチャレンジ精神が、最初から機械に頼ることを拒否するのである。
つまらないプライドが優れた道具を十分に活かせなくしてしまうという実例。

2006-08-09

パスポートの写真

最初の訪チャイが最初の海外旅行、しかも個人旅行だった。
ガイドブックで慎重すぎるほど研究を重ね、パスポートの手続きでも準備物等はキチンと用意した上で窓口で申請、、、
ところが、用意した写真を突き返されてしまったのである。
理由は前髪が一すじ額の中ほどまで垂れているからとのこと。
ヘアスタイルが問題なのではなく、この細いスジが額のキズのようにみえることから、本人と同定するときに問題になるかもしれない、っていうのである。
そりゃ、あるはずのキズが無ければそうでしょうが、これはそもそも髪の毛なんだし、、、って言っても窓口の担当者、いったんダメ出ししたものを撤回するつもりは毛頭なし。
押し問答のあげく、結局もう一度写真を撮って出直してくることに。
(安くない証明写真の代金が惜しくって、悔しくって、、、)

しかし、実際の出入国の際に最も目につくのは頭髪の色ではないのだろうか?
海外旅行をする際はパスポートの写真と異なる色に染めないこと、って注意は聞いたことがないので、このあたりの対応マニュアルはかなり古いのではないかと推測する。
「顔が笑ってるぽいからダメ」「眼鏡のフレームが太いからダメ」なんていったところで、本当に写真と寸分違わないようにってのはそもそも無理だし、それじゃ海外でエステ受けただけで帰国できなくなってしまう。
10年の間にヘアスタイルを変えたり、パーマをあてたり、いや、その間に本当に額にキズをつくってしまうことだってあるかもしれない。
どう考えても、現実的でない難癖をつけられただけのような気がして、やはりお役所の窓口ってのはいやなもんだなあ、と思う次第。
で、浮かんだ疑問がひとつ。カツラ使用者のパスポート写真って、着用して撮るの? 外して撮るの?

2006-08-04

訪チャイ秘密兵器(その1)

WILLCOMのPHS、「W-ZERO3」を買った。
タイ語辞書の走るPDA(携帯情報端末)が欲しかったのだが、PDAは高い。
ところが、PHSとして購入されるZERO3は、電話機として大きすぎることから購入直後に手放す人が多く、ネットオークションで2万円程度から買える。しかし、中身は最新のPDAそのものなのである。

TaNさん作のパーソナルディクショナリー(PDIC)と黒沢さん作のタイ日辞書データ、そして入力用のスマートタイ・キーボードをインストールして、携帯版タイ語辞書の完成。
動作するまでには少々試行錯誤があったものの、すこぶる快適で非常に便利。
感謝の意味も込めて、携帯をWILLCOMに乗り換えることにしたくらいである。



タイでは日本よりこのタイプの機種が普及している。英タイ辞書は普通に使えるので、日本人がタイ日辞書を使っていても驚かれることはない。
ところが、ZERO3を買った値段を教えてやると驚くのである。
「自分にも買ってきてくれ」
「でも、OSもキーボードも日本語だし、日本人でなけりゃ使えないよ」
本来の目的とは違うところで優越感にひたっているわけである。

2006-08-02

はじめに

プラン・インターナショナル(当時はフォスター・プラン)のペアレントとして、タイの子供たちと付き合うようになってから、ちょうど20年が過ぎました。その間にさまざまな出来事がありましたが、忘却の彼方に去ってしまったことも数知れず。お世話になった人々のこと、旅行中の出来事、本当は忘れてしまいたい失敗談など、メモや資料が散逸する前に書き留めておきたいと思います。常夏の王国タイランドでの日本のとうちゃん漫遊記、週一の投稿を予定しています。