訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2009-01-25

嬉し恥ずかし誕生会(7日目)

ケーキ屋はタイらしさのまったく無い店で、日本にいるような気にすらなる。
しかし、そこで飲み食いするのはやはりタイ人であった。
僕の誕生祝いだとか言っておきながら、二つのテーブルに分かれたら、向こうは向こうで勝手にやってる。
こちらのテーブルについたのは僕を含めて5人だが、飲み物のほかに運ばれてきたのは、小さなショートケーキが2個に人数分のスプーン。
二人前を5人でつつき合って食べるということがみみっちいとか、ゲストの僕に失礼だとかは、もちろん考えない。
単純に、さっきランチをすませたばかりだから、この程度で十分だろうという判断である。
その上で、店員を呼びつけてローソクを持ってこさせるは、大声で「ハッピー・バースデー」の合唱をするは、正直、他の客や店員の手前、恥ずかしくってしょうがない。
もっとも、それに眉をひそめるタイ人でもないのだろうけれど。

ともあれ、これでいよいよプラン・コンケーンとはお別れである。
22年間、ウチの子たちの面倒をみてくれ、訪タイの度に僕もお世話になってきた人たちが、最後の最後に(カタチだけでも)僕の誕生日を祝ってくれているのだから、これは本当にありがたいことであった。

2009-01-13

ランチで散財(7日目)

先導するプランの車は、コンケーン市街から東へかなり行ったところにある海鮮レストランへ入っていった。
池の周囲に屋根だけの席がある店だが、宴会にも使える、ちょっと高価な店と思われる。

スタッフのニラモンさんに、今後バンコクの事務所に移るのかと訊いてみたが、やはり家族がある者はそうもいかないようである。
スタッフの多くはここで失業とのことである。
プランの達成撤退は喜ばしいことであるが、現地事務所が一つ消えるごとに仕事を失う者もいるわけだ。
「今までのみなさんのお仕事に感謝して、ここの会計は僕が持ちましょう」
もとより食事代は払えるものが払うという考えのタイ人であるから、日本人スポンサーの提案に遠慮などするはずもない。
ところが、レストランでの十数人の食事となれば、さすがに物価の安いタイとはいっても想定外の金額になってしまった。
サコンナコンで追加の現金を引き出していなかったら、とんだ恥をかくところだった。

「明日は最後にみんなでノンカイまでドライブするんだけど、一緒に行かない?」
よもや明日も奢らせようって魂胆ではなかろうが、せっかくの旅行に言葉の不自由なものが加わっては連中も気楽に楽しめないだろうと思い、これはお断りすることにした。
「明日はゆっくり過ごすつもりなんです。実は明日が僕の誕生日なんですよ」
そう言うと、それなら今から誕生祝いにケーキを食べに行こうということになった。
荷物を運ぶ人たちを除いた6,7人が車2台でコンケーン市内のケーキ屋へ移動。
今度は奢ってくれるらしいので喜んでついて行った。

2009-01-03

プラン・コンケーン最終日(7日目)

コンケーンから始まったイサーンを一周するドライブも、いよいよ再びコンケーンに戻って終了する。
ウドンからはまっすぐ南に130キロ、2時間弱である。
コンケーン市内に入ってまず向かったのが、プラン・タイランドの統括事務所。
ちょうど1年前の訪問時には引越しが始まったところで、現在は統括事務所はバンコクに移っているはずである。
空き家になっているか、すでに新しい住人が入っている可能性が高いが、14年間、訪チャイの拠点だった場所なので、懐かしさで覗いてみたくなったのだ。
ところが、行ってみるとそこに停まっているのはプランの車。
驚いたことに、引越しはまだ完了していなかったのである。
スタッフ総出でダンボール箱や国旗(日本の!)などをプランのトラックに積み込んでいるところだった。
中に入ってみると顔馴染みのスタッフが何人もいて、聞けば、今日が引越しの最終日なのだという。
さすがに室内にはもう何も残っていない。
これから最後の行事があるとのことで、付き合うことにした。
準備の様子を見ていると、敷地の一番端にある大木に向かって小さな祭壇をつくり、そこに食事を備えている。
どうやら土地神に対する感謝の儀式らしい。

その儀式が終わって、いよいよこの事務所も撤退である。
最後にみんなで食事をするので一緒に行かないかと誘われた。
願ってもないことなので同行する。
本当はお邪魔かな、とも思ったが、移動の足として好都合だったらしい。
僕の車にスタッフ3人を乗せてプランの車について行った。