訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2006-11-29

用語の確認

そもそも「訪チャイ」なんて言葉があるわけはない。
もともと、タイへ行くことを「訪タイ」と言ってたのだが、これは「訪米」「訪日」などと同様、正しい日本語である。

ただ、スポンサー同士の会話では、どこへ行くかは問題ではない、チャイルドに会ってくることが重要なのである、ということから、「チャイルド訪問」という意味で「訪チャイ」って言い換えてきた。

しかし「チャイルド訪問」という言い方も、本当は正しくないのである。
プランで用いているのは、「コミュニティ訪問」。
つまり、プランはスポンサーとチャイルドの交流を仲介はするが、あくまで現地活動の中心はコミュニティの生活改善であって、スポンサーはその進捗状況などをしっかり見てくるべきなのである。

とは言っても、はるばる日本から出かけて行くのは水道タンクや養殖池なんかを見たいからではない。
もちろん、プランの援助金が活用されているプロジェクトを見ることはそれなりに感慨もあるし、興味もあるのだが、やっぱり訪問のメイン、一番楽しみにしているのは「ウチの子」とのご対面だ。

というわけで、やっぱりここのブログ名も「訪チャイ」となるのである。

もひとつ、「長男、長女」って言い方。
これもいろいろ悩んだ結果である。

チャイルドの本名がそもそもややこしいということは以前にも書いた。
それにチャイルドの情報公開にはプランも結構気を使っているらしい。

「FC1号、2号」なんて仮面ライダーみたいな言い方をしたこともあるが、男女の区別もつけたいし、数が増えてくると「9号」と「10号」なんて、書いてる当人が区別できなくなる。

というわけで、年齢順に「長男、次男、、、長女、次女、、、」という言い方がやはり無難なようなのである。
ほかのスポンサーさんたちにも、同様の表現を使われている方が多いようである。

ただし、この言い方にはひとつだけ欠点がある。
あとから加わった子供の年齢が大きかった場合である。
新入りが「三男」に割り込んで、これまでの「三男」が「四男」に格下げになったりするのだ。
ウチで順番に産んでるわけではないので、こればっかりはしかたがない。

2006-11-27

御仏のお導き

民際交流センターの奨学生である次男を初めて訪ねて行ったときのことである。
コンケーンからサコンナコンへ向かう途中でマハサラカムの南地区へ立ち寄るという、大まわりのコースを行くことになる。

マハサラカムのボラブーに入ったころには、日が暮れて真っ暗になってしまった。
次男の家の住所はわかっていても、標識が見えないので自分が今どこにいるのかがわからない。
民家も少なくなってくるし、この後、サコンナコンまで200キロ以上走らなければならないので、ゆっくりもしていられない。
「さすがに暗くなっては探せないな。今年はあきらめようか」と、自分の無計画ぶりに気付き始めたときである。
一軒の民家で、表の縁台で涼んでいた男性を発見、とりあえずここで一度道を尋ねて、それで見つからなければあきらめようと決めて、車を停めた。

暗がりで顔もよく分からない状態だったが、「僕は日本から来ました。この住所を探しているのですけど」と伝えて、住所のメモを彼に渡した。
メモを読んでいる彼をじっと見つめる。
そのとき、彼の着ているTシャツにふと眼をやって驚いた。
胸にプリントされた青いマークは、イビツな丸の中で子供が跳ねてる姿!

「それ、プランのマーク! あなた、プランの人ですか?」

2005年の資料では、タイの人口は6200万人、プランのスタッフは94人だそうである。
道端でいきなり声をかけた相手がプランのスタッフである確率、0.00015パーセント! 66万分の1である。なんたる偶然か!

目的を詳しく話すと、彼が車に同乗して案内してくれることになった。
途中立ち寄った家で女性が一人、さらに加わる。
で、あっという間に次男宅に到着。
先程の女性は日本にいたことがあるということで、なんと通訳として同行してもらうために声をかけてくれたのだった。

タイは一般的にオトコどもが頼りない国なので、男性に道を尋ねるなんてことはほとんどしない(かえって迷うことになる)。
ましてや、走る車をわざわざ停めて道を訊くなんて、あとから考えると自分でも不思議なくらいだ。

キャッチフレーズ「アメージング・タイランド」も伊達じゃないな。
普段は無神論を標榜してハバカラないくせに、タイでの人との出会いについてだけは「仏の御意志がはたらいたのかも」とついつい思ってしまったり、、、。
してみると、いきあたりばったりに思えたボラブー訪問も、実は、御仏のお導きに従った確信的行動だったのかもしれない。

2006-11-23

いただきもの(その1)

チャイルドたちを訪ねると、母親がお土産を持たせてくれることがある。
こちらは高価なものを避ける必要があるため、せいぜい数百円程度のものを渡すだけなのだが、先方はかなり奮発してくれているようだ。

だいたいは布を貰うことが多い。
大きなホテルの玄関前などでも、地面にゴザを敷いて布を売っている姿をよく見る。
特産品の一つなのだろう。
残念なことに、そのようなものに無関心な男の一人旅では、ありがたみがまったくわからない。

布より厄介な物もある。クッションやマクラだ。
なんでそんな物をくれるのか、日本人にはよく分からないが、確かに観光地や土産物屋でもマクラを売っている。
お土産の定番なのであろうか?
おかげでバッグのスペースの大半をマクラが占領し、欲しかった買い物をあきらめたことすらある。

と、さんざん愚痴をこぼしてはみるものの、ファミリーからの心尽くしの品々が嬉しくないわけがない。
帰国したら早速そのマクラを愛用、ペチャンコになっても使い続けるのである。

2006-11-19

チェンマイの小学校

ランプーンへ引っ越した次女に会うため、毎回チェンマイを経由することになっている。
プランの事務所がまだチェンマイにあったとき、事務所を訪ねて行ったことがあった。
ちょうど、スタッフのスリポーンが、コミュニティの小学校へ行くことになっているので同行しないかと誘ってくれた。
願ってもないことなので喜んでついていく。

学校はタイのいなかの平均的な規模だったが、プランの支援でできた設備もいろいろあった。
そこでは、少しでも現金を得るためということで、生徒が竹細工をしたり、校庭の池ではスッポンの養殖までおこなっていた。
スリポーンが、スッポンを英語で言えないために苦労していると、生徒の一人が池に飛び込んで一匹つかみあげてくれた。
「あー、スッポンね。わかりました。パーサーイープン(日本語)ではスッポン、言います」
これがいい現金収入になるのだという。
「日本人も食べますか?」「うーん、食べる人もいるけど、僕はちょっと、、、」

校舎も順に案内してくれて、各教室で生徒たちに紹介された。
自己紹介すると「チューレン(あだな)は?」と質問が。
日本人はあまりチューレンを持たないんだというと不思議そうにしていた。
下の写真は低学年のクラスで歓迎の歌を歌ってくれたところ。

しっかり学校訪問を堪能したのだが、長旅の疲れと山道の長時間ドライブですっかり車に酔ってしまい、プランの事務所へ戻ってから小一時間ほどソファで寝込むことになってしまった。
一戸建ての民家を流用した、このチェンマイ事務所は、翌年チェンライに移転し、より北寄りに重点を移して活動することになる。

2006-11-11

マイ・ネーム・イズ・日本人

日本人にとって、タイ人の名前は発音しにくいし、覚えにくい。
ボクシングの国際試合などでもアナウンサー泣かせの最右翼だろう。

タイ人の名前には、表記にも発音にも独特のルールがあり、一方でローマ字表記には揺らぎが大きい。
そのため、タイ人にローマ字表記の名前を書かせると、そのつど綴りが違ったりする。

次女の名前はタイ人としてはわかりやすいほうであるが、ローマ字表記だと
「Napharat」となる。
最初にプロフィールが届いたとき、どう読むのかわからなかった。
日本人の感覚でかな書きすれば、「ナファラット」とでもなるところだろう。

が、「pha」は「pa」と同じで「パ」なのである。
「パ」が2種類あって「h」で書き分けるわけ。
さらに語尾の子音はほとんど音としては聞き取れない。
で、もっとも近いかな書きをすると「ナパラ」となる。

短い名前でさえこんな調子だから、長い名前や苗字となったらどうしようもない。
しかもニックネームが主流で、相手の苗字で呼びかけることがほとんどないことから、何年も付き合ってるのに、苗字を発音できない友人がいたりする。

実は、程度こそ違えど、逆もまたあり。
訪問初期にわかったことだが、近所の人たちはもちろん、ファミリーの中でさえ、僕のことを「日本人」と言っている。
僕の名前の正しい発音が覚えられないらしい。
「日本人に何を食べさせる?」「日本人はどこに泊まってる?」といった調子。
タイ語だと「コン・イープン」である。

で、こちらもそれに合わせてしまう。
しばらくは電話をかけたときなど、「もしもし、こちらはコン・イープン」とやる。
それで先方からは「おーっ、こんにちは! お元気ですか?」と返ってくる。
あちらには日本人の知り合いなんて他にいないから、これで全然問題ないわけである。

2006-11-04

禁煙キャンペーン「人間やめますか」

以前、タイの煙草をパッケージ違いで何種類か買って帰ったことがある。
愛煙家へのおもしろ土産のつもりだったのだが、予想以上に不評であった。
日本でも健康への害について警告文が表示されているが、国によっては、これがハンパではないのだ。
タイの場合も、「煙草を吸えばこうなります」という写真が大きく表示されているのである。
それが頭蓋骨だの、ヤニに染まった歯、癌になった肺の解剖写真とくれば、自分の健康に無頓着な人でも気持ちよくはないはずだ。

タイの禁煙キャンペーンはすさまじく、広告の類は全面禁止、店頭に煙草を陳列することさえ禁じられている。
テレビでは煙草のCMの代わりに、いかに害があるかの禁煙推進CMが流れる。
海外のテレビドラマやアニメでも、喫煙シーンでは顔にモザイクがかかるというのだから、その徹底ぶりは麻薬・覚せい剤などと同等の扱いといえる。

公共の場など、禁煙エリアで喫煙すれば、即罰金ということもあり得る。

というわけで、タイで煙草を吸ったりしていると、あまり知的ではないと思われるかもしれない。
愛煙家もまた要注意なのである。