訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2010-08-31

新人

三女の実家から彼女の出身校までは3キロメートル弱。
昼前に学校に着き、痛む腰に刺激を与えないよう、尻を突き出して摺り足でゆっくりと車から校舎まで歩く。
昨年まで世話をしてくれていた先生が育児休暇中なので、「カラシン先生記念奨学金」について、初めての先生と打ち合わせをすることになった。
これまではずっと女の先生だったが、今回は男性教諭で、さらに校長も同席することになった。
ここ何回か、週末に訪れていたので、先生が揃っているときに学校へ来るのは久しぶりだったのである。

コイが昨年ここを卒業しているので、今年からの新しい奨学生を一人決めないといけない。
先方は、成績で選ぶか、貧しさを優先するかと訊いてきた。
一人しか選べない状況で、その条件を決めるのは難しい。
勉強を頑張っている子に報いたい思いもあるが、経済的理由で学校をやめていく子を見捨てたくない気持ちもある。
とはいっても、たった一人にわずかばかりの金を出すだけなので、悩んでもしかたがない。
抜本的な解決はタイ政府に任せるとして、ここは判断を避けさせてもらう。
「僕はこの奨学金を提供するだけなので、その使い道は学校で決めてください」

奨学生が決まったら後日メールで知らせてくれればいいから、ということにして打ち合わせは終了。
ちょうど昼時ということで、校長室から職員室に移動して、先生たちと昼食をご一緒する。
食事が終わったところで、奨学生が決まったから紹介すると言われた。
「早っ!」
再び校長室に移って、さっそくご対面である。
生徒のほうもいきなりの話でびっくりしたと思うが、会って帰れるなら、こんな嬉しいことはない。
しばらく待つと、校長室へ二人の女の子が入ってきた。
「えっ、二人?」
話が通じてなかったのかと心配したが、一人は付き添いの友人ということだった。
タイではこうした場合、二人一組で行動することが多い。
新・奨学生候補はおそらく高等部であろう、見るからに賢そうな子だった。

2010-08-27

激痛

長男の家から5キロ弱のところに三女の実家がある。
三女は3歳の息子を祖母に預けてチョンブリ県に出稼ぎ中である。
曾祖母に育てられた息子はすっかり内気な甘えん坊になってしまっていて、僕が訪ねて行くとひいばあちゃんの後ろにしがみついて上目遣いにこっちを見ているだけ。
昨年も同様だったので、今年はここでの滞在時間を多めに配分してある。
なんとしてもこの孫息子と仲良くなるつもりだったから。
武器はいつもの「テレビマガジン」。
さっそく家の中に上がり込んで、付録の「仮面ライダーなりきりセット」を作り始める。
最初は知らん顔で、作業に没頭しているように見せることが重要である。
案の定、部屋の隅っこに引っ込んだままだったが、こちらの様子は気になっているようで、ずっとこちらを見つめている。
こちらはじっと我慢して、向こうを見ないよう、ただただ作る。
とりあえずマスクが一個できあがったところで差し出してみるが、やはり受け取ろうとはしないので、目の前に放り投げてやる。
さらに小物を作っては、また目の前に放り投げる。
やがて、おそるおそる手にしてはまたすぐ床に戻すという動作を何度か繰り返していたが、だんだん距離が近づいてきたので、マスクを拾って頭にかぶせてやった。
ライダーになったのがよほど嬉しかったのか、そこでようやく警戒心が無くなったようで、初めてこの子の笑った顔を見ることができた。
野生動物の餌付けに成功した瞬間である。

その後は隣に座って一緒に作業することができた。
簡単な型抜きなどを手伝わせながら、まだまだ多く残っている付録の組み立てにピッチを上げる。
できれば全部作ってやってからここを出たかったのである。
しばらく一心不乱に組み立てをやったあと、残り時間も気になって、ちょっと背筋を伸ばそうとしたときだった。
いきなり激しい痛みが腰に走り、思わず悲鳴を上げてひっくり返った。
日本を出る少し前にもやっていて、ずっと警戒はしていたのだが、いわゆる「ギックリ腰」である。

2010-08-25

散髪

サコンナコン県の南のはずれ、県境から10キロほど入ったところに長男の家がある。
いったん市の中心部に入ってからここまで引き返してくるのは大変なので、通りすがりに立ち寄って、もし留守だったら今年の対面はあきらめるというつもりだった。
うっかり見落としてしまわないよう、スピードを抑えて走っていると、見覚えのある家が見えてきた。
毎年、市街方向からしか訪ねたことがなかったので、勝手知った道でも反対から走って行くと意外と判りにくいのである。
去年は暗くなってからということもあって、数キロ通り過ぎてから気がついたのだった。

家の前に車を停めようとしたら、ちょうど庭から出てこようとしていた3人をふさぐ形になってしまった。
一瞬、来客だったのかと思ったが、3人は長男とその両親だった。
母親はバンコクで、父親もどこだかへ働きに行っていて、ここ数年は一人暮らしの長男だったから、両親同時に交えて会うのは、実は初めてのことだった。
聞けば、サコンナコンの町まで一緒に出かけるところだったという。
つまり、到着があと20秒遅れていても家は無人になっていて、面会は一年先送りになるところだったのである。
これもブッダのご加護というか、あるいは休憩も取らずに峠をカッ飛ばしてきた甲斐があったというべきか。

軒下のベンチに腰掛けてしばらく話をしたが、長男はあいかわらず近所の子供たちにゲーム機を貸すゲーム屋を家の裏でやってるらしい。
こんな田舎では店を大きくというわけにもいかないだろうし、何かちゃんとした仕事につくでもしてくれないと、いつまでも不安で仕方が無い。
ただ、昨年会ったときの、顔の半分を隠すような前髪をきれいに刈っていたのは嬉しかった。
昨年の別れの言葉が「見苦しいから、絶対その髪切っちゃえよ」だったので、今回は「よく切った。さっぱりしていいよ」と褒めてやった。
もっとも、僕の忠告を聞いてというよりは、この暑苦しい国で一年間あんなヘアスタイルは維持できなかったというのが真相だろう。
それとも、この一年の間に出家でもしてたのだろうか?
年齢的には一番出家しやすい年頃だが、それに気づいたのは長男の家を出てからだったので、直接確認することはできなかった。

2010-08-07

大学

シーサケートからサコンナコンへ向かう途中、ロイエットの友人を訪ねることにした。
友人といっても、数年前からチャットをするだけの知り合いで、タイへ行くたびに訪ねて来いと誘われていたものの、ずっとすっぽかしてきたのだった。
ところが、昨年、サコンナコンまでの最短コースを新しく開拓したところ、まさにそのコースが彼女の通う高校の前を通り抜けるということを発見。
昨年は、連絡が間に合わず、その学校を横目に見ながらロイエットを走り抜けたのだった。
毎年、帰国後に、立ち寄らなかったことを責められていて、その都度、来年は行くからと言い訳してきていたので、今年こそは顔を見せないわけにはいかない。
ただ、今年は彼女が大学に進学しているので、その高校で会うことはできない。
で、出国前にチャットで確認したところ、高校のように学校のすぐ前を通るというわけにはいかないが、ちょっと回り道をするだけで大学に立ち寄ることができそうだとわかった。

シーサケートのホテルを未明に出発し、日の出を見ながら北上、ラチャパット大学の構内に入ったのは、一番早く登校してくるグループと同時くらいだった。
ここはもともと教員養成大学だったものが総合大学になったのだそうで、真円の人工池をかこむようにきれいな建物が並び、グラウンドや体育館に気づかなければ、閑静な田舎に建つ高級ホテルかと思ってしまいそうである。

さっそく警備員をつかまえて携帯電話を渡し、彼女と話をしてもらう。
この場所で待ってればいいからということで、車を木陰に寄せ、シートを倒して少し休憩。
暫くウトウトしていると、歩いてきた一人の女学生が声をかけてきた。
髪をきちっと後にまとめて、タイの大学の制服である白いブラウスに黒いスカート。
ネットに公開しているカジュアルな服装の写真より3割くらい賢そうに見えるが、ラチャパットに入るくらいの成績ではあるわけだから、まんざら水増しというわけでもないのだろう。
話し方や態度もちゃんとしていて、好感が持てる。
これが、ネット上ではいつも絵文字とスラングでタメグチな彼女と本当に同一人物なのか?
ともあれ、登校中であるわけだから、引き止めて長話をするわけにもいかない。
とりあえず日本で買ってきたファッション雑誌をお土産に渡し、これからもタイ語の先生をよろしくとお願いして別れた。