訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2009-12-31

マエの日に届いた手紙

一時期、年末に訪タイしていたことがある。
といっても、航空運賃が跳ね上がる直前に帰ってこれるようにである。
そのころ恒例だったのが、タイで年賀状を投函すること。
あまり知られていないことであるが、日本で投函するより料金が安いのである。
今でも、日本宛て葉書が35円程度のはず。
ダイレクトメールでこれをやることは禁止されているが、個人なら問題ない。
残念なことに年賀はがきを使うわけにはいかないので、現地で切手を買ってホテルで貼りまくることになる。
毎年タイから年賀状が届くので、しばらく会わなかった知人の中には、てっきり移住してしまったと思った人もいたらしい。

ある年、帰国直後に某郵便局長から電話があった。
タイから送った年賀状を年内に届けてしまったという謝罪の電話であった。
切手の下にはちゃんと「年賀」の朱書きをしてあったのであるが、エアメールで送られたエキゾチックな絵葉書は仕分け作業でスルーされたらしい。
おそらく受け取った誰かが局に連絡したのだろうと思う。
別に文句をいうほどのことではないし、年末の忙しい時期にわざわざ電話をしてもらって、逆に申し訳ないくらいである。
なにより日本の郵便局にはカネにならない仕事をさせてるわけで、ややこしい年賀状を送ってしまったことを、こちらがひとしきり謝って電話を切った。

2009-12-25

サンタが道にやってくる

タイ人はクリスマスが大好きである。
自他共に認める仏教国であるにもかかわらず、年末にはあちこちにサンタクロースが出没する。
象までが赤い服に白髭をつけられて町を行く。
当然、デパートなど、いたるところでサンタに出くわすのであるが、常夏の国であるから本来のサンタクロースの衣装ではなんとも暑苦しい。
で、腕やら脚やら出してしまうものだから、圧倒的に若い女性のサンタが多くなる。
だいたいこんな感じ。

国道を車で走っていて、片道4車線か5車線の広い交差点で信号待ちになったことがある。
そこへ横断歩道を渡ってきたのが、7,8人の女性サンタ集団。
そのまま渡りきるかと思いきや、全員がいっせいに信号待ちの車のほうへ向き、ラインダンスを始めたのである。
大きな交差点だから待ち時間も長い。
なにやらポスターらしきものを運転手たちに見せながら、お得意の笑顔を振りまきつつ元気に踊っている。
やがて信号が替わりそうになると、一礼して横断歩道を駆け足で渡りきって行った。
日本なら警官が飛んできそうな宣伝である。
炎天下の路上ダンスは大変な重労働だろうし、それを楽しそうに演じる根性は見上げたものだと思う。
ただ、先頭車両の運転手としては、直接自分に向けられたパフォーマンスに驚いてしまって、逆に目を合わせることができない。
やたら時間が長く感じられて、通り過ぎてくれたときにはホッとしたものである。
もちろん、何を宣伝していたのかなど、まったくわからなかった。

2009-12-15

海が見えたら

タイへはもう何度も行った。
狭い路地裏まで知り尽くした町もある。
人が住んでいることが信じられないような山奥にも行った。
しかし、いまだかつてタイの海というものを見たことが無い。

多くの日本人観光客にとって、タイはビーチの国である。
パタヤ、プーケット、サムイ島など、行ったことがない人でも知っているくらい。
ところがウチの子供たちは、そもそも北や東北部の内陸にしか住んでいない。
紹介してくれる組織の活動地域が、そういった貧しい農村に限られるのだから、これは仕方ない。

もっとも、海に近づく機会は何度かあった。
例えば、長女と次女が一時住んでいたサムサコンは海辺の県だ。
高速道路を降りて、ちょっと南へ向かえば海に出るはずなのだが、その反対側が彼女たちの住まいなのである。
三女が働くチョンブリもまた海に面している。
バスを降りて西へ少し歩けば海である。
有名なパタヤも遠くない。
ところが、ここでもバスステーションでタクシーを拾って、海とは反対の方向へ走ることになる。

そうしたわけで、ビーチとはずっと縁がなかったのであるが、実は、東北コンケーンにも知る人ぞ知るビーチリゾート(?)がある。
その名も「パタヤ2」。
五男の家があるここは、大きな湖のほとりなのである。
貝殻の多い砂浜には小さな波が打ち寄せ、岸から張り出した高床の東屋ではグループで遊びに来たと思われる人々が湖上を渡る風に吹かれながら食事をしている。
浜には貸しボートや食べ物の店もあり、地元の老若男女がそれぞれに楽しんでいる。
ただ、全体の雰囲気が、なぜかもう一つパッとしない。
いろいろ考えてみた結果、近くにホテルやレストランが無いことが原因ではないかと思った。
遠方から金と時間を持ってくるような客がいないため、日本にもよくある、名も無き田舎の海水浴場といった感じなのだ。
これでパタヤとは片腹痛い。
というわけで、本家パタヤのビーチにパラソルを広げ、フレッシュジュースと文庫本で時間を潰すというささやかな贅沢は、未だに遠い憧れのままなのである。

2009-12-06

二十二歳の別れ

コンケーンのホテルに泊まっていたとき、知り合いの女の子が訪ねてきた。
移動手段を持たない彼女をバイクに乗せてきたのは、コンケーン大学に通う男友達で、これがなかなかの好青年である。
明るく爽やかで体格もよく、物怖じしないが図々しくもなく、年長者への敬意も払いながら、楽しい会話ができるときた。
僕がタイの男子に好感を持つなんて、極めて珍しいことである。

それから1年半が過ぎた頃、メッセンジャーでチャットを呼びかけてきたタイ人がいて、誰かと思ったら、これがあの男友達である。
自分のことを憶えているかと訊いてきたので、「もちろん」と応えたものの、そもそも彼は僕にとって、一度会ったことがあるだけの「友達の友達」である。
いったい何事かと思ったら、「彼女が結婚するんです」という。
そのことなら暫く前、本人から、知らせたいことがあるといって直接聞かされていた。

「相手はノルウェー人なんだってね」
「そうです。それで僕は今、とても寂しいんです」
どうやら彼は本気で彼女を好きだったらしいのだが、友達以上になれないうちに、彼女のほうに外国人との縁談が持ち上がったようなのである。
こんなときに、どう慰めればよいかわからず、キーボードを打つ手も途切れ途切れになってしまう。
「でも、彼女が望んだのなら仕方ないよね。彼女の幸せを願ってあげようよ。僕らにはそれしかできないでしょ?」
「はい。だけど、僕は今でも彼女が恋しいんです」
「・・・・」
何を言っても堂々巡りで、これはかなりの重症である。
まさか結婚式場でダスティン・ホフマンやったりしないだろうね?
「で、彼女はいつ結婚することになってるの?」
「もう結婚式から2週間ほど経ちました」
「なんだ。それじゃあ、もうどうしようもないでしょ。諦めなきゃね」
「でも、どうしても忘れられないんです!」

やはり女々しいぞ、タイ・ボーイ。
結局、こいつも例外ではなかったのか?
一方、タイの女の子にとって、自分に求婚する男がそこそこ金持ちで白人なら、これはもう王子様である。
あとは、北欧のライフスタイルと気候に馴染めずに、離婚して帰国するのを待つしかないか。
そのとき傷心の彼女を彼が受け止めてやれるのならめでたしなのであるが、それまで彼の思いが変わらないかっていうと、それはそれで、やっぱり難しいのだろうなと思ってしまう。