訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2007-08-29

九日目・ビーチでイッパイ

現役チャイルドの四男だが、すで何度も訪れているので、大層な歓迎気分は向こうにも無い。
一応、学校を休んで待ってはいるわけだが、都会へ出て行った親戚が一年ぶりに帰省した、といった程度の雰囲気である。
こちらもまた、実家に戻ったような感覚なので、勝手に縁台に上がってゴザに寝転がる。
とにかく力を抜いてゴロゴロしていないと暑いのだ。
といっても、家には何も無いので、四男と湖まで自転車で遊びに行くことにした。
700メートル先に大きな湖があり、その名も「パタヤ2」という、ちょっとした海水浴場のような行楽地になっているのである。
水上を渡ってくる風は気持ちよく、あちこちの木陰でいくつものグループが涼んでいる。
その中の一組は、男ばかり7~8人の集まりだったが、地べたに車座になって座り込んでいた。
最初は、日本でもよく見かけるヤンキーどもかと思って様子を窺がっていたが、一人が弾くギターに合わせてみんなで歌を歌ったり、何事かを熱心に議論したりしているのだった。
タイの公園などではよくこういった若者たちを見かける。
日活青春路線を地で行くようなひとコマであるが、映画と違うのは、野郎ばかりでヒロインが交ざっていないこと。

と、目が合った彼らが会釈をしてきたので、こちらも近づいて挨拶。
「中国人ですか?」
「いや、日本人」
「これを一緒にどうですか?」
差し出されたのは真っ赤な液体の入ったビンである。
「何それ?」
「酒ですよ」
悪い連中ではなさそうなので、逆に断りきれない。
渡された汚いコップに注いでくれたものを、(アルコールならあたりはしないだろう)と、一気に飲み干す。
「うわー、キツイ!」
酔ったポーズでおどけてみせて、お代わりは遠慮する。
いつの間にやら、すっかり仲間に入れてもらっていたが、乏しい語彙が尽きたところで帰ることにした。
別れ際には「アリガト」「サヨナラ」と片言の日本語を繰り返しながら笑顔でいつまでも手を振ってくれる。
こういった些細なふれあいが、どんな名所・名物よりも、その土地の好印象につながっているような気がする。

2007-08-28

九日目・プーウィエン事務所

朝9時ちょうどにプランの運転手がホテルまで迎えに来た。
国道を西へ向かい、1時間少々でプーウィエンのプラン現地事務所に到着する。
さっさと上がりこんで、まずはいつものコーヒーをいただく。
奥から出てきた女性はここで働いている元チャイルドだそうだ。
ホワイトボードの予定表を見ると、スポンサーの訪問が4件書き込まれていた。
うち自分を含めて日本人が2人。
殴り書きのタイ語をなんとか読み解いてみると、もう一人の日本人女性は僕がコンケーンから東北めぐりのドライブに出た日に訪問をされたらしい。
僕が現チャイ訪問を先に予定していたら同行することになったかもしれない。
同行者に気を遣わないで済んだことでほっとする反面、日本人スポンサーとニアミスに終わったのは残念な気もする。
もう帰国されたかもしれないが、先方も良い訪問であったなら嬉しい。

ここからスタッフが一人加わって、いよいよチャイルドの家へ向かうわけである。
もちろん、昨日この近辺で道に迷った結果、チャイルドの家の前を往復してしまったってことは内緒。

2007-08-18

八日目・変身しても暴れん坊

長女の家ではナットと「テレビマガジン」の付録を作り、「てれびくん」のほうはもう一度学校へ行って先生に渡した。
本当は幼稚園にと思って持ってきたのだが、遅くなったために、すでに幼稚園は閉まっていたのだ。
ナットは、学校では一言も口をきかなかったくせに、家ではライダーなりきりセットで有頂天である。

ライダーの武器である剣を手に、何度も祖母に切りかかっていく。
僕の前でわざとふざけてみせているのだろうが、やっぱりやんちゃである。
祖父母に育てられていることから、甘やかされているのかもしれない。
長女には、母親の必要性をきっちり言い聞かせてやらなければ。

暗くなる前にコンケーンまで帰りたかったので早々に長女の家を後にした。
1時間半ほどでコンケーンに着き、そのままショッピングセンター、ロータスへ直行。
ここで洗車を頼んで、そのあいだに買い物をする。
翌日の現チャイ訪問時にお土産として持っていく漫画を3冊買った。

すっかり遅くなってしまったが、エリー宅に寄って車を返し、そのままホテルに送ってもらう。

2007-08-14

八日目・ナット照れる

学校に着くとナットはすぐに見つかった。
同じ一年生が何人もわらわらと寄ってくる。
予定より遅れたために放課後になっていたらしい。
カメラを向けると、それぞれとっておきのポーズをとる。
最近の男の子の流行は親指と人差し指をL字にして顎にあてること。
ほかの教室や運動場からも子供たちが集まってきて、大騒ぎである。

ところが、肝心のナット一人だけが不機嫌な顔をしているのだ。
そして、あろうことか、いきなり近くの友達に蹴りを入れてしまった。
「こらっ!」
思わず日本語で叱ってしまった。
ここまで悪ガキではなかったはず、とショックを覚えかけて気がついた。
コイツ、自分に面会人が来ていることに照れているのである。
蹴られた友達も、反撃するわけでもなく笑っているので、どうやらナットの照れ隠しの行動であることを彼も承知のようだ。
うーん、これも成長のワン・ステップなんだろうか?

先頭で白目を剥いてみせているのがナット

2007-08-10

八日目・今年も迷って、、、行き着いた場所は

ノンカイの学校を午前中に出発して、今日中にコンケーンまで帰る予定である。
ここでウドンタニからまっすぐ南下すれば、1時間半ほどでコンケーンまで行ける。
しかし、今年はプーウィエンに住む長女の息子を訪ねてからコンケーンに向かう予定なのである。
そのため、ウドンから西へまわってノンブアランプー経由、湖を反時計回りにまわり込んでプーウィエンまで行くことにした。
初めての道ではあるが、主要道なのでわかりやすい。
途中、ガソリンスタンドが無くてヒヤヒヤしたが、なんとかプーウィエンの町まではたどりついた。

ここから長女の実家へ30分ほどの距離なのだが、実はタイへ来てからGPSが故障してしまっている。
この近辺は目印になるものが無いので、記憶だけで行けるかどうか、かなり不安なのだ。
で、案の定、道に迷ってしまった。
ウロウロしながら、とりあえず大きな道まで出てみようと、通りかかった車の後をついてしばらく走ったら、いきなり覚えのある場所に出た。
(えーっ! ここって、四男の家の前じゃん!)
明日、あらためてプランのスタッフに連れてきてもらう家である。
スタッフ抜きで訪ねることは禁止事項なので、顔を伏せるようにして、四男の家の前を通り過ぎる。
ともあれ、これで一応、自分の居場所がわかった。
もう一度、顔を隠して家の前を引き返し、あとは北西方向へ直線4キロの場所を目指せばよいわけだ。

予定を大きくオーバーしてしまったが、これで何とか長女の実家にも着くことができた。
長女の父親が出てきたので、簡単にあいさつ。
長女はまだシーサケットで働いているらしい。

「ナット(長女の息子)はまだ帰っていないの?」
「まだ学校にいる」
「じゃ、先に学校に寄ってくるよ」
「学校は、突き当りじゃなくてその隣だよ」
「?」
今年は幼稚園の年長組だろうと思っていたのだが、どうやら隣接する小学校のほうへ通っているらしい。
(もう、小学生かあ)
首も座っていないのを恐る恐る抱いたのがついこの間のように思えるのに。
月日が光速で過ぎていくことを実感する今日この頃である。

2007-08-09

八日目・校内巡回

初めての学校では、よく学内の見学をさせてもらう。
先生たちも外国人を案内することは面白いらしく、全教室をもれなく見せてくれることも珍しくない。
今回も、幼稚園クラスから中学生クラスまで見てまわった。

各教室では先生の合図で全員が合掌して挨拶をしてくれる。
で、こちらもカタコトのタイ語で挨拶することになる。

「僕は日本から来ました。日本って知っていますか? この中に日本へ行ってみたい人はいますか?」
どのクラスにもひょうきん者が何人か必ずいるわけで、「ハイ、ハイ!」と手を挙げる子がいる。
すかさず、そのうちの一人を教室の前まで引っ張り出して、「じゃあ、彼は今から日本に連れて行くので、皆さんとお別れです。さあ、みんなにさよならを言いなさい」って言ってやる。
急に「いやだー!」と言い出すところを羽交い絞めにして教室から無理やり廊下へ連れ去ろうとする。
ここでクラスは大爆笑となるわけ。
礼儀正しく微笑む子供たちもかわいいが、ふざけて大笑いしてくれたほうが打ち解けた気がするのである。

ところが、案内の先生には生徒たち以上に受けたようで、次の教室へ移動してからのこと、
「おーい、みんな聞け。この人は日本から来たんだ。この中に日本へ行きたい者いるか? よし、お前、今から日本へ連れて行ってもらえ」
って、先生? それ僕のネタなんですけど...。

2007-08-08

八日目・団体面接

学校に着くと早速校長室に通された。
EDFのスポンサーということで、校長室へ奨学生を呼び出しての対面となる。
ところが、恥ずかしながら、三男の名前は思い出せないままなのだ。
先生にそう告げると、じゃ、呼び出せる奨学生を全員連れてくる、ってことになってしまった。
連れてこられたのは女の子二人に男の子一人。
この学校にはもうあと二人の奨学生がいるとのことであった。
少なくともウチの子は男の子なわけだから、目の前にいる男子がそうである可能性は高い。
(ひょっとして、彼がウチの子かなあ?)
プロフィールと一緒に送られてきた写真はもちろん持ってきていない。
言われてみれば記憶の写真に似ているような気もするが、でも、やっぱり微妙に違うような、、、。
そもそも、この年齢で一年たったら、写真と見比べてもわからないだろう。

というわけで、ややこしい書類を調べてもらうのも面倒なので、ここは三人に平等にインタビューすることにした。
違ったっていいや、どうせまた来年も来ることだろうし。
ただ、お土産を他人にやっちゃっては、ホンモノがかわいそうだから、ここは学校への寄付ということにする。
辞書だから図書室に置いてもらってもいいし。
で、三人はもちろん、この場にいない二人の分も、成績まで見せてもらっちゃって、逆に得したような気分でいたのであった。



*帰国後、すぐに確かめてみたところ、校長室であった彼はやはり別人であった。ま、いいけどね。

2007-08-05

八日目・雑貨屋のお姉さんの不思議

朝、ウドンタニを出てからノンカイへ向かう。
国道2号は舗装もよく、気持ちよく走れる。
まもなく、地図上で左折の交差点があるはずのところへ来たが、それらしい道が見当たらない。
ちょうど小さな雑貨店を見つけたので、飲み物を買って道を尋ねてみた。
「すみません、この場所へ行きたいのですが・・・」

すると、お店のお姉さん、いきなり日本語で「日本人ですか?」ときた。
「えっ! 日本語が話せるんですか?」
「少しだけ」
タイで日本語を話せる人に会うことは珍しいことではない。
しかし、多くの場合、聞き取るのに大変な労力が必要だし、複雑な会話はまずできない。
ましてここは田舎の雑貨屋である。
ところが、このお姉さんの日本語は立派なものである。
「この道を3キロ行くと赤いきれいな家があります。その手前を左に曲がって線路を越えて、7キロほど行ったところです。タイ語でメモを書いておきますから、わからなくなったらこれを人に見せてください」
まるで、日本人から道を教わっているような錯覚に陥ってしまった。
しかも、実際に走ってみると、その3キロ、7キロが測ったようにピッタリなのである。
さらに、学校へ入っていく最後の道がわかりにくいところにあったのだが、それも書いてもらったメモを人に見せることで、あっさりクリア。
あっという間に着いてしまった。

それにしても、こんな場所で日本語を使う機会なんて、そうそうあるものではないだろう。
それなのに、何であれほど日本語が流暢なんだ?
日本に住んでいたんだろうか?
なぜ、それを活かした仕事に就かないのだろう?
疑問が次々と湧いてくる。
しかし、一番のアメージングは、またまたそんな出会いが「僕」の身に起きたってこと。
タイで初めての場所へ向かうときは、いつも引っ張っていかれるようにして、そこにたどり着く。
導かれてるんだね、やっぱり。

2007-08-04

七日目・どこの誰だか、すっかり忘れて

初めて訪ねる新奨学生の学校はノンカイ県にある。
ノンカイへはスリポーンの両親に連れられて国境の橋まで行ったことがあるだけ。
国道をそれて山越えするルートはやや不安もあって、事前の準備がもっとも必要なところだ。
それなのに、この学校と奨学生に関する資料をまるごと日本に忘れてきてしまっているのである。

ところが奇跡は起こるもので、サコンナコンのホテルでパソコンを借りてネットに繋いだところ、その数分の間に、たまたま同校のジョー先生とメッセンジャーが通じたのである。
早速、学校の名称と住所、電話番号、さらに校長の携帯番号をあらためて教えてもらう。
ジョー先生自身はバンコクで開かれる教育セミナーに出席するため入れ違いで会えないとのことだったが、この偶然のチャットは本当にありがたかった。

ウドンのホテルでは時間がたっぷりあったので、買ったばかりの電子地図を開き、学校までの分岐点、距離、方角などを詳しく書き出しておく。
ウドンからは40キロほどなので、1時間もかかりはしないだろう。
奨学生へのお土産には英タイ辞典とタイ英辞典のセットをBigCで買ってある。
さあ、これで準備は万全。
あとは新奨学生・三男の名前を思い出すだけなんだけど、、、これはまあ、行けば何とかなる、、かな?

2007-08-03

七日目・ウドンタニ

サコンナコン(タオンゴイ)に二日滞在したことで体力は完全に戻った。
次の訪問地はノンカイ県の新規奨学生が通う学校なのだが、日曜日は学校が休みなので、手前のウドンタニまで行って、もう一泊することにしている。
ウドンはサコンナコンから約180キロ。
整備された国道が通っているので、ゆっくり走っても約3時間。
何事も無く、昼前に予定通りウドンに到着した。
ウドンの町に入るとすぐ、大型ショッピングセンターのBigCがある。
この店のすぐ裏手に知人のチャエーの実家があるので、BigCで菓子を買って訪問。
チャエーは現在アメリカ麻薬取締局に勤めているが、もとはチェンマイでプランのスタッフとして知り合った。
その後、タイ国空軍などでしばらく勤めては大学へ戻って勉強する、を繰り返していて、ここ2,3年は電話で話すだけだった。
今回もバンコクにいるので会えないことはわかっていたが、母親が家で待っていてくれることになっている。
チャエーの父親も長いこと中東で働いているので、家には母親と妹しかいないのである。

ここで早速お願いしたのが、あらためて三女に電話して、正確な住所を聞いてもらうことであった。
聞いた地名を正確に書き取る作業はタイ人にお願いするしかないのだ。
それも無事に終えて一安心、あとはチャエーの近況を聞きだすことだけである。

「まだ結婚していないの?」
「まだよ」
「もう適齢期は過ぎちゃってるでしょ」
「今月の23日で31歳になるわ」
「彼氏はいないの?」
「いない、いない」
「本当に?」
「絶対いない」
「親不孝だねえ..」
「そうなのよ」

本当に彼氏がいないかどうかはわからないが、仕事と勉強に夢中で婚期を逃しつつあることだけは確かなのである。
実は子供達の将来以上に、彼女達の結婚問題が気になってしかたが無いのだ。
行かず後家になりそうな妹を持った兄貴の心境なのである。

2007-08-02

六日目・三女の経歴

三女は幼いときに両親が行方不明になり、ひとつ年上の姉とともに祖母によって育てられた。
民際の奨学生として中学へ通ったが、高校進学に際して奨学金を延長することにしたのだった。
ところが、高校3年生のときに行方不明だった親(父・母どちらかは不明)が現れ、彼女をナコンサワンに連れて行ったと聞かされた。
行き先の住所は学校も友人も知らされていなくて、完全に音信不通になってしまっていた。
行った先で学校へ通っているかも不明。
働ける年齢になったところで稼ぎ手として連れて行かれたのではないかという心配もあった。

ところが、一昨年になって祖母のところに戻ってきていると、母校の先生から連絡があった。
戻ることになったいきさつは不明であるが、まもなく結婚するそうだとも言われた。

この数年で何があったかはもうどうでも良い。
ただ、この結婚で本当に幸福になれそうかどうかの確認だけはしておかなければならない。
というわけで、昨年は気合いを入れて婿殿の面接に向かったのであるが、入れ違いにチョンブリ県に行ったと知らされ、結局会えずに帰国することになったのである。
今年の訪タイで帰国前日の予定を開けておいたのは、手がかりがあればチョンブリまででも追いかけていくつもりだったからなのだ。
そして、本人と電話が通じたことで現住所も手に入った。
もうこれは、行くしかないのだ。

しかし、五女が三女から電話で聞き取ってくれた住所のメモは、車中で書かれたため、一部判読できない部分があると、ホテルに戻ってからわかったのである。