訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2010-06-29

再会

現チャイがシーサケートのコミュニティを離れたことから、コミュニティ訪問はキャンセルになってしまった。
しかし、そこでは長女が働いていることから、シーサケート県を訪れることは決定済みなのである。
そこで、プランには、プラン・シーサケートの事務所表敬訪問ということで立ち寄らせてもらうことにした。
飛行機のキャンセルによって直前に予定が変わってしまったものの、この地の訪問もすでに3度目。
レンタカーでコンケーンから310キロ、途中マハサラカムで次男の祖母と従姉妹を訪ねたりもしながら、午前11時にシーサケートの事務所に到着した。

事務所の玄関で立ち話をしていた男性二人をかわすように奥を覗き込み、目が合った女性に挨拶しようとして驚いた。
最初の訪チャイ時、1994年からお世話になっているニラモンさんだったのである。
彼女はずっとコンケーンの事務所で働いていて、プランの撤退によってコンケーン事務所が閉鎖されるときに、プランを退職すると言っていた。
昨年、お別れ食事会に加えてもらって(参加者全員の食事代も支払った!)、もう二度と会うことはないと思っていた人物である。
どうやら退職を先延ばししてシーサケートにやってきたらしい。
家族を置いての単身赴任かもしれない。
いずれにせよ、シーサケートの事務所も、あと1年以内に閉鎖になるのだから。

共通の友人の話をしたり、昼食を一緒にして2時間半、ホテルへ向かうため事務所をあとにした。
別れ際に、来年からはプラン・タイランドの活動地がチェンライだけになってしまうので、もしスポンサーを続けるのなら、ぜひチェンライのチャイルドをリクエストするように、と言われた。
そうすれば、今度はチェンライでまた会えるかもしれないから、と。
言われるまでもなく、それがタイのチャイルドを持つ唯一の手段なら、チェンライのコミュニティを指定するのは当然の選択である。

2010-06-26

生還

いろいろあったものの、とりあえず無事に帰国。
直前のタイ騒乱を受け、観光客の激減から飛行機が次々に間引かれたため、予定が完全に狂ってしまった。
これで日本人観光客が少ないぶん、機内もゆったりできるなら慰めになるが、情勢が落ち着いてしばらく経ってしまったためか、残った機体に乗客が集中して、逆に満席状態。

タイ国内では何度か雨も降ったが、移動中に降られることはなく、約2千キロほどを自分でドライブ。
3日目に腰を痛めたため、車を降りてからの行動は非常に制限されるものになってしまったが、それ以外には大きなトラブルも無く、やたらと検問だらけだったものの、これも無事故無違反で走破。

最終日にはタイ航空のマイレージで交換したホテル券を使って、フツーなら絶対使わない高級ホテル、ドゥシッタニへ宿泊。
実はここ、一ヶ月前に客室へ数発の爆弾を打ち込まれて、しばらく休業していたのである。
注意してみれば近所にはまだ焼け跡が散見できたものの、もちろんホテルにその痕跡は無く、一帯で商売したり生活している人々の様子は以前と変わらなく見えた。