カラシン先生のこと(2)
タイから帰国してまもなく、カラシン先生の誕生日に電話をかけた。
別人かと思えるほどのか細い声だったが、誕生日を祝ったことには嬉しそうに返事をしてくれた。
なんともいえない不安な気持ちになったものの、病状を詳しく聞きだす語学力も無いし、話を長引かせるのもどうかと思い、その時はすぐに電話を切った。
その後、カラシン先生の同僚がチャットで頻繁に状況を知らせてくれることになる。
先生の病気は癌で、診断後ただちに入院したこと。
すでにかなり重篤だということ。
その後、痛みが激しくモルヒネを投与している、話をすることができなくなった、昏睡状態におちいり、もはや回復の見込みは無い、と知らせを受けるたびに病状は急速に悪化して、とうとう、8月12日に亡くなってしまった。
誕生日に電話してからわずか一か月、先生の自宅で会ってからも50日経っていなかった。
あまりにも急なことで、一人娘のジューンはひどく落ち込んだと聞いた。
先生が亡くなった日は、タイにおける母の日である。
これから毎年、ほかの子供たちが母親に感謝の花を捧げる日が、彼女にとっては大好きなお母さんの命日となるのだ。
別人かと思えるほどのか細い声だったが、誕生日を祝ったことには嬉しそうに返事をしてくれた。
なんともいえない不安な気持ちになったものの、病状を詳しく聞きだす語学力も無いし、話を長引かせるのもどうかと思い、その時はすぐに電話を切った。
その後、カラシン先生の同僚がチャットで頻繁に状況を知らせてくれることになる。
先生の病気は癌で、診断後ただちに入院したこと。
すでにかなり重篤だということ。
その後、痛みが激しくモルヒネを投与している、話をすることができなくなった、昏睡状態におちいり、もはや回復の見込みは無い、と知らせを受けるたびに病状は急速に悪化して、とうとう、8月12日に亡くなってしまった。
誕生日に電話してからわずか一か月、先生の自宅で会ってからも50日経っていなかった。
あまりにも急なことで、一人娘のジューンはひどく落ち込んだと聞いた。
先生が亡くなった日は、タイにおける母の日である。
これから毎年、ほかの子供たちが母親に感謝の花を捧げる日が、彼女にとっては大好きなお母さんの命日となるのだ。