訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2009-08-25

別れても好きな人

プーウィエンの友人宅に立ち寄ったときのこと。
彼の従姉妹が日本から帰ってきているので会わせたいという。
特に目的があってということではなく、日本語の達者な従姉妹らしいので、僕への気遣いからのようだった。
友人の母親が呼んできた従姉妹を紹介して言うのに、6,7年前から日本のタイレストランで働いていて、日本人と結婚、最近離婚して帰国したのだそうな。
離婚の理由というのが、酒飲みの旦那はいつも飲み歩いているくせに、家には金を全然入れないからだという。
なんでも、家賃すら彼女の稼ぎで払っていて、「本ッ当ーにぜんぜんお金を入れてくれないのヨ。とうとう生活できなくなったので、タイに帰ろうと思って離婚したヨ」だって。
なんのゆかりも無い野郎であるが、タイ女性を泣かせる日本人という構図は悲しい。
で、とにかくそのバカ野郎にかわってひたすら謝っておいた。

ところが、彼女が続けて言うことには、「デモ、彼はすごく優しい人なのヨ」「ワタシにはいつも優しくしてくれたヨ」だと。
なんじゃい、それは??
「いや、それは、優しいとは言わないんじゃないの?」
「ううん、優しいヨ」
どうやら、言葉や態度はマメだけど、中身がダメダメなヤツらしい。
こんなヤツ、タイには多いようなのであるが、相手が日本人であっても、このタイプに一度は引っかかるのが、タイ人女性のDNAなのかもしれない。
「あのね、例えば僕は、全然優しい人間じゃないけど、給料を自分だけで使ったりは絶対しないよ」
「うん、ワカル気がする」
「そんなことが平気でできる男は自分勝手な悪人だよ。子供はいないんだよね? だったら別れて正解だって。もっとまともな男を探しなさいよ」
「わかったヨ。ありがとネ」
「早く再婚して、そんな男は忘れちゃえ」
「ウン。だけどネ、彼が優しいのはホントにホントなんだヨ」
あ~、だめだ、こりゃ、、、。

2009-08-19

君の名は

新・四男から、民際センターから送られてくるプロフィールや奨学生証書がこれまでの書式と変わった。
内容の一番大きな変化は自宅住所の表示が無くなったこと。
もともと、手紙は学校に送ることになっているので、そのことで支障はない。
ところが、この学校住所が英文字表記になっていることで、少々悩まされるのである。

まず、学校の住所である村の名前が、「Nongkookhad 村」、とある。
で、学校の名前は、「Nongku Kard 学校」、なのである。
この二つはおそらく同じもので、たぶん地元の郵便配達なら、どちらを使っても、ちゃんと届けてくれるのだろうとは思う。
ただ、見ていて非常に気持ち悪いのだ。

仕方がないのでタイの電子地図を英語表示に切り替えて、県内の村をしらみつぶしに見ていく。
すると、ここで第3の綴りが見つかった。
「Nong Khu Khat村」とある。
多数決を採用するつもりが、三つ巴になってしまった。
ともあれ、これで場所が特定できたので、地図をタイ語表示に戻すと、その地名のタイ語表記がわかる。
そのタイ語表記からすると、どうやら二つの民際センター版は長母音の表記や「英語化」を意識しすぎたきらいがある。
それぞれをネットで検索した結果、やはり民際の二つの表記は一件もかからなかったが、第3の英語表記は8千件を超えるヒットとなった。
これで、正しい英語表記が決まってスッキリ、、、、
と言いたいところであるが、タイ語表記がわかってしまったのだから、もはや英語表記には用が無くなっているのである。
手紙を出すときには、宛名をタイ語で書けばよいのだから。

それにしても、このような同定作業は地名だからこそできること。
さて、この奨学生証書にある新・四男の氏名のほうは、正しく書かれているのだろうか???

2009-08-15

新人さん、いらっしゃい

今年もまた、新しい家族を迎えることになった。
今年の新人は民際センターの奨学生で、中学1年生の男の子、ニックネームはマオという。
プロフィールによると身長139センチ、体重31キロということだが、これは日本人でいうと、身長は小学5年生、体重は4年生の平均にほぼ等しい。
ま、思いおこせば、超巨体の次男以外は、みんな体格の心配をしたものだが、結局普通にデカく育っている。
三男など、中1のときに身長125センチなんて記録も残っているくらいだ。

さて、これでウチの子達のランキングであるが、これまでの四男が1ランク格下げとなって五男となる。
そこへ新四男としてマオが入り、合計、現在五男と六女。
孫が二男一女だから非常にいいバランスである。

ここで憶えのために今年の子供たちの年齢と生年月日、住んでいる県をまとめておく。

長女 26歳 1983年 3月 1日 シーサケート
次女 25歳 1984年 2月 6日 サムットプラカーン
三女 23歳 1986年 7月 6日 チョンブリ
長男 22歳 1987年 1月11日 サコンナコン
四女 21歳 1988年 8月13日 サコンナコン
五女 20歳 1989年 3月12日 サコンナコン
次男 17歳 1991年 9月19日 マハサラカム
三男 16歳 1993年 2月16日 ノンカイ
六女 15歳 1993年10月24日 シーサケート
四男 12歳 1996年 8月24日 マハサラカム
五男 11歳 1997年 9月21日 コンケーン

2009-08-04

男はくらいよ

プランの子供たちとは、スタッフや親の監視のもとで面会することになる。
生まれて初めて外国人と話をするのだろうし、おそらく、礼儀正しくしなさいとしつこく念を押されているに違いない。
きちんと座って、ニコリともせず、なにか尋ねられても小さくうなずくか首を振るだけ。
まるで、職員室で叱られてでもいるかのようだ。
これが訪問を繰り返すうち、だんだん打ち解けてくるわけであるが、女の子は高校卒業あたりを機に大変身することになる。

社会に出たことで自信も持つのだろうし、その瞬間から大人とも対等に張り合っていかなければ、そもそも生きていけない。
で、僕に対する態度が一変するのである。
まあ、年長者に対する敬意が皆無になることはないのだが、冗談を言ってくるくらいなら可愛いもので、あれこれ指図すらしてくるようになる。
「とうさん、ほら、ちゃんと挨拶して」なんてことを言われた日には、どちらが親やら娘やら。
もともと明るく社交的なタイ人であるから、それで大丈夫とわかれば、遠慮なんて絶対しないのだ。
外見も変わるから、一年ぶりに会うと、もう全くの別人である。
「あなた、本当にXXXだよね?」
何度、そう尋ねたくなったことか。

ところが、これが男の子になると、まったく違うのである。
20歳を過ぎても、やはりうなずくか、首を振るか、せいぜい下を向いて小さな声でボソボソ答えるだけ。
彼らも陽気なタイ人に違いないのであるが、どうも、子供のときの刷り込みで、条件反射的にそうなるらしい。
普段はきっと、友達なんかと大騒ぎしているはずなのだが、僕が現れると、借りてきた猫になってしまう。
もちろん、僕のことが苦手だとかっていうわけではない。

ようするに、女の子は年とともに成長・変化するが、男子はいくつになっても子供のまま、ってことらしい。
どこの国でも同じような傾向はあるかもしれないが、おそらくタイはこの性差がどこより大きいのだろう。
タイの男子は、誰でも一生に一度は出家しなければならない、、、というのは、ダメダメ男子を少しでも社会で通用するように鍛え上げる、という智恵なのではなかろうか。