訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2007-07-31

六日目・三女、今年こそ会えるか

長男の家を出て、次に向かったのは三女の実家。
ここへ五女を連れて行くのには理由があった。
実は、昨日もここへちょっと立ち寄って、現在はチョンブリ県にいるという三女の消息を尋ねたのである。
ところが、耳の遠い老人がいるだけで、話が通じない。
そこで、五女に通訳を依頼したのである。

五女が昨日の老人に話してみても、なかなか進展が無い。
それでも根気よく聞いてくれたおかげで、近くに三女の叔父がいることがわかった。
老人はその叔父が出かけている水田まで案内してくれるという。
水田までは結構な距離があったが、叔父はすぐに見つかり、三女の電話番号を教えてくれた。
持っていた携帯電話で早速連絡。
三女は仕事で留守だったが、後からこちらにかけ直してくれるとのこと。

しばらくしてからかかってきた電話を五女に渡し、通話内容をメモしてもらう。
チョンブリの住所を確認できたので、帰国の前日に訪ねていくことを約束した。
これで、「コンケーンで一日のんびり計画」はご破算になったが、ここで三女に会っておくことはどうしても必要なのだった。
もし無事に会えたら、足掛け四年ぶりの再会となる。

2007-07-30

六日目・再びタオンゴイへ

ホテルで朝食をとった後、再びタオンゴイへ車を走らせる。
昨日、五女と約束した場所へ着くと、すでに彼女が待っていた。
約束の時間の30分も前である。
タイ人と付き合うようになって久しいが、30分以上先に来て待ってるタイ人なんて初めて見た。

わき道に入って4キロほど行ったところにある集落に彼女の家はあって、学校までは7キロあることになる。
家には小さな弟と母親がいた。
母親は織物の仕事をしているが、なかなかに生活は厳しいとのこと。
タイシルクと枕をお土産にと言われたが、これは固辞した。
とてもそれを詰め込むスペースが無かったからである。

しばらくしてから、五女を連れて向かったのは長男の家。
現在大学の2年生のはずで、家から通っているため、週末は家にいるはずなのだ。
なぜか五女は長男の名前も家も知っていた。
家は学校を挟んで10キロ以上離れているし、学年も2つは違うはずなのに何でだろう??

長男の家に上がりこんで、まず聞いたのが「大学はどう?」。
ところがこの返事には驚いた。
大学を中退したばかりだというのである。
ちょっと腹を立てて理由を聞いたところ、バンコクで働いている母親からの仕送りが2年間滞っていて、学校を続けられなかったのだそうな。
確かに僕の提供している奨学金は、中学生がギリギリ学校へ通える程度の金額だから、大学を続けるには家族にも大きな負担がかかる。
しかし、それならそれで、一言連絡してからにして欲しかった。
が、彼にしてみれば、大学を続けることより、バンコクに行ったっきりの母親や姉のことが気がかりなのであろう。
家族が何年も離ればなれで暮らしていて、自分だけ学校に通うのが辛かったのかもしれない。
彼が働くことで、家族がまた一緒に暮らせるようになるのなら、それも良しだと考えたい。

今年の奨学金分を渡そうとしたところ、学校をやめたのだから受け取れないと断られた。
無理やり押し付けはしたものの、もっとたくさん出せてたら、と思うと逆にこちらが申し訳なくなってくる。
とはいえ、僕がしなければならないのは、僕の金で彼らの生活を変えることではない。
今は、ちゃんと就職して、きちんと稼げるようになるか、見守っていくだけだ。
彼がどのような道を選択しても、それも間違いではなかったと後から思えるようになることを、ただ願う。

2007-07-29

五日目・サコンナコン到着

四女と自宅で会えたため、サコンナコンのカレッジに行く必要は無くなった。
そこで、まず近所にある四女の通った学校へ顔を出す。
目的はブンラクサー先生のグッズを配ること。
運動場で遊んでいた子供たちを呼び入れて、学校の機材でビデオCDを再生してみてくれた。
派手なアニメーションで、子供たちも夢中になって見ている。
校長室でしばらく話をした後、四女の家にいったん戻る。
明日またこちらに来るからと告げて、いよいよ本日の最終目的地サコンナコンへ向かう。
明日も一日タオンゴイで過ごすことになるのであるが、ここには宿が無いため、どうしてもサコンナコンへは行かなければならないのである。

サコンナコンの市街に入って、カラシン先生の家に立ち寄ってみたが無人である。
先生が亡くなり、一人娘は県外の学校で寮生活。
この時間では先生の夫もまだ勤務中なのだろう。
ま、これは予期していたことなので、そのまま定宿のMJホテルへ入る。
このホテルは一階のロビーでインターネットができるようになっていた。

ホテルで一息ついてから買い物に出かける。
CDや本を買うためであるが、今年は音楽業界が不作で、欲しくなるような商品が無い。
大型ショッピングセンター「BigC」のフードコートで2品頼んで、この日初めての食事を取った。
あとはもうホテルで寝るだけ。

2007-07-28

五日目・四女訪問

続いて四女の通うサコンナコンのカレッジに行く予定だったが、道中、彼女の実家の近くを通るので、ちょっと立ち寄って、もし母親がいれば挨拶して行こうと考えた。
四女は寮で生活しているので、何か持っていくものでもあればことづかることもできるし。

で、家についてみると、母親はいなかったのだが、当の四女が一人で寝ていた。
勝手に上がりこんで暫く寝顔を眺めていたが、すぐに飽きたので顔をつついて起こしてやった。
どうして学校に行っていないのか尋ねると、バイク事故で怪我をしたのだそうな。
外傷は肘と踝を擦った程度だが、腰を強打していて歩けないという。
友人のバイクの後ろに乗っていて、放り出されたらしい。

で、くどくどとバイクの危険性を説教しているところへ一人の男子学生がやって来た。
「誰だ、あれ?」
「フェンです」
「フェーン(恋人)だぁ!?」
「違います、フェンです」
「???」

何度も聞き直して、ようやく英語で「友達」と言ったのだとわかった。
friend の発音、[frend] が、タイ語特有の訛りによって、[r]と語尾の[d]が聞き取れず、[fen]となってしまったわけ。
それがタイ語の「恋人」[feen]に聞こえたということ。
やれやれである。

が、家の中に上がりこんできた彼、髪型もさっぱりしていて、着ている制服も清潔できちんとしている。
何より礼儀正しく、男前でスタイルも良しときた。
こんな男がそもそも何の用で女の子一人の家にやって来るんだ?
給食の食パンと宿題のプリントを持ってきた、、ってわけでもなさそうだし。
いちおう、念のために「父さん心のブラックリスト」に書きとめておくことにする。
娘に近づく男には碌なのがいない、ってのはここ数年で学んだ真実なのである。

2007-07-27

五日目・五女訪問

朝食抜きでボラブーへ、昼食抜きでタオンゴイへと車を走らせる。
何か食べようかとも思ったが、少しでも早く着きたいので、結局休みもとらずにタオンゴイまで来てしまった。
三女と長男が卒業した学校で、段取りはいつもの通り。
ここでちょっとパソコンを借り、チェンマイで買った電子地図のCDをMP4プレーヤ経由でノートPCに転送。
これでようやく詳細な地図が手に入った。

五女は来年高校を卒業の予定で、大学に進学したいと言う。
志望校は地元かと聞くと、コンケーン大学の医学部とのこと。
「コンケーン大学? 僕が乗ってきたあの車、あれはコンケーン大学の先生から借りてるんだよ」
来年はコンケーンで会えるのかも。
成績はどうなんだと言うと、大丈夫との返事。
これは頼もしい。
コンケーンに行ったらエリー先生に会いなさいと、連絡先を教えておく。

五女は「カラシン先生記念奨学金」の1号生なので、彼女の卒業までに次の生徒を選抜してくれるよう先生に念を押した。
しかし、五女の大学進学にどう関わるかが当面の問題である。
今の金額のまま延長したところで、大学生活には足りないだろう。
かといって、延長プラス増額はこちらにもキビシイ。
とりあえず、タイにおける公的学資援助の制度を調べてみる必要がある。
幸いなことに高校、大学双方に相談できる相手がいるので、次の春までにいろいろ考えてみたい。

翌日の土曜日に五女の自宅を訪問するため、地図上で待ち合わせ場所を決めて、学校を後にする。

2007-07-24

五日目・次男訪問

マハサラカム県のボラブーにある学校へは3回目の訪問になる。
中学と高校が一緒になったような学校で、次男は現在5年生。
来年は最終学年で、再来年の3月には卒業予定である。
ちょうど登校時間に到着したので、国旗掲揚などの朝礼行事を見ることもできた。

校長室に現れた次男はますます体重を増やしているようであった。
中学入学当時から体型は変わっていないので、上に伸びた分、重さも増えているはずだ。
すでに100キロを超えていると思う。

巨漢の高校生が女の先生になにか言われるたびに小さくなっているのが妙にカワイイ。
少なくとも、学校が手を焼く不良高校生ではなさそうなので、成績については不問としておいてやる。
将来の進路についても尋ねたが、まだ1年以上あるので、それほど具体的ではなさそうだ。
ま、来年詳しく聞けば良いだろう。

チェンマイ大のブンラクサー先生から受けた今年の指令は、子供向けのCGアニメを収録した教育用ビデオCDとその画像を用いた絵本を東北地方の各学校に配布してまわること。
念のために尋ねてみたが、ここに小学校は併設されていない。
といっても、バッグの中で場所をとっているブツをさばいていかないことには邪魔になってしょうがない。
で、一応、この学校にも1セット置いていくことにした。
いらなかったら、近くの小学校の先生にでも譲ってくれればいい。

学校の中もゆっくり見てみたいのであるが、これからサコンナコンまで行かなければならないので、ここは2時間ほどで引き上げることにする。

2007-07-22

五日目・これも恒例、交通違反

金曜日の朝である。
土・日は学校が休みになるため、この一日で三校をまわらなければならない。
三校といっても簡単ではない。
まずコンケーンから100キロ以上あるボラブー、さらにそこから250キロ行ったタオンゴイ、また35キロ先のサコンナコンでようやく三校である。
走行距離だけでも400キロ近くある。
まずは朝の6時にホテルを出て、8時にボラブーの学校に到着する計画。
車はきのうエリーのお父さんから借りたフォードのピックアップトラックで、マニュアル車だが運転はしやすい。

コンケーンを出て国道を南下していると、前方で警官が手招きしている。
何のやましいことも無いので素直に停まって、「なんでしょうか?」
「スピード違反」「え~~っ!」

タイの道路は特に標識が無ければ90キロ制限である。
もちろんそれはよく知っていたので、ずっと90キロで走ってきたつもりである。
「ここは90キロ制限だ」
「知ってる、だからずっと90キロで走ってたよ」
「いや、スピード違反だ」
「そんなはずは無いって」
「レーダーで測ったから間違いは無い」
確かにメーターで90キロを維持していても、プラスマイナス数キロの揺れはあるはずだ。
しかし、瞬間的に制限速度を1,2キロ超えたくらいでは、日本の警察でもスピード違反とは言わないぞ。

じゃあ、そのレーダーの記録を見せろって言いたいところだが、ここからが難しい。
小遣い稼ぎの性悪警官が因縁つけてきたのなら、まず向こうは引き下がらない。
レーダーがでまかせだったとしても、かえって逆切れされる可能性がある。
たとえ半時間でも無駄にはできない事情もある。
悔しいがここはさっさと罰金を払うしかないのか。

しぶしぶ200バーツ(734円)を渡すと、これで「行ってよし」なのである。
免許証の確認もしないし、反則切符を切るような手続きもなし。

この「簡易反則金制度」は、軽微な違反に対して無駄な手間やコストをかけずに取り締まれること、警官も厳しい環境の下でやる気を出せること、などから容認するむきもある。
しかし、冤罪の温床となっていることも確かな事実なのである。
以後、90キロ制限の道は80キロで走るという自分ルールを新たに追加した。

2007-07-21

四日目・やはりダウン、それは食べ過ぎのため

夕食に連れて行かれた店は最近タイでも増えている回転寿司。
各席にはそれぞれ電熱器に載った鍋があって寿司と一緒に肉や野菜も流れてくるという「寿司しゃぶ」の店である。
一応、ヘンなタイ料理と違って正体がわかるという安心感もあり、しっかり食べた。
ところが、日本の一般的な回転寿司と違って、使った皿はどんどん店員が片付けてしまうので、食べた量がわからない。
北部では食事を抜きがちだったので、それを取り戻すつもりもあった。

ところが、それがやはり間違いだった。
実際のところ身体の疲れはとれているわけでもなく、暑さや寝不足でガタガタになっているところへ急な過食である。
不規則な食事で胃も本調子ではなかったのだろう。
帰りの車中で突然気分が悪くなり、エリーの家に着くや、トイレに駆け込んで、食べたばかりの寿司を完全に戻してしまった。
胃の中は完全にカラッポである。
実は、去年も、一昨年も、コンケーンでは決まって吐いているのだ。
日本にいるときからの疲労がちょうど臨界値に達するタイミングらしい。
「毎年だね」ってからかわれてしまった。

息をするにも苦しいくらいの満腹状態から、胃液の最後の一滴まで一気に出し尽くしてしまい、壁に寄りかかりながらフラフラとトイレから出てきたときである。
家族そろって僕のほうに向かい、全員で「Happy birthday to you」を歌いだした。
(あ、僕の誕生日は明後日だ)
エリーが持っているのは大きなバースデーケーキ。
(そんなもの用意してんなら、寿司なんか食いに連れて行くなよ~)
もちろん、そのケーキが僕の口に入ることはなく、以後24時間、水以外のものは口にすることもできなかったのである。

2007-07-20

四日目・日本のドラマ

エリー宅では三匹の犬が出迎えてくれたが、本人は松葉杖でやっと立っていて家から出てこれない。
骨折の理由を聞くと、家の階段でコケたからだと言う。
日本の狭くて急な階段じゃあるまいし、広くてしっかりした手摺のついたこの階段で、どうやったら転んだりするのだろう? 九十歳か、あんたは?

エリーはこれから三時間ほど大学に用事があるとのことで、しばらく家で待っていてくれと言われた。
どうやって行くのかと思ったら、間もなく学生二人が車で迎えに来て、両側から支えるようにして車に押し込んだ。
それを見送った後、居間に一人で留守番である。

このドラマは面白いから、と言われて渡されていたのはビデオCDの束。
タイトルのみ書かれたCD-Rなので、海賊版なのだろう。
プレーヤーに入れて見てみると、日本でまだ放送中のドラマである。
どうりで、「まだ6話までしかないけど」なんて言うはずだ。

日本は逆輸入によって高額な国内盤が売れなくなることを恐れ、海外でのCD,DVDの販売には消極的である。
そのため、タイでも正規版のドラマや映画のDVDは韓国製・台湾製が大きなシェアを占め、日本のものは少ない。
それでも日本のドラマファンは非常に多いので、この日本の製作側の姿勢が逆に海賊版を増やしているようにも思える。
販売価格を世界水準に合わせて海外にも販路を広げることが、海賊版撲滅の最大の方法だと、ソフト業界には早く気づいてほしいものである。

寝転がってテレビを見たり、パソコンで日本のサイトを覗いたりしているうちにエリーが帰ってきたので、両親を加えて四人で夕食を食べに行くことにした。
タイ人の食事は外食が基本なのである。

2007-07-19

四日目・プラン統括事務所

エリーのお父さんを運転手に、向かったのはプランの統括事務所。
最初の訪問時からお世話になっているニラモンさんとチャイルド訪問日の打ち合わせをする。
といっても、事前に提出してある訪問メモと何も変わらないので、コサホテルに午前9時、プランの運転手が迎えに来るということの確認だけ。
通訳不要の再確認もされたが、そもそも英語が苦手なんだから、通訳なんかに同行されたら余計話が通じなくなっちゃう。

プーウィエン地区の援助終了について尋ねてみたところ、タイはこれから各地区の事務所を閉鎖していって、4年後には完全撤退することになっているとのこと。
そうした話をしている間にも大きなトラックに次々と事務所の机や書庫が運び出されている。
統括事務所自体がコンケーンからバンコクへ引っ越すのだそうだ。
ニラモンさんからは、もう来年は会えないと言われたが、可能ならバンコクの新事務所へも訪ねてみたい。
タイが活動国から支援国に替わる日を想像すると嬉しくもなるのだが、現在勤めているスタッフのうち、かなりの人数がここ数年でリストラされることになりそうである。
転職が特別なことではない国なので、それぞれなんとかなるのであろうが、少しでも良い待遇で新しい仕事に就いてもらいたい。

話を終えて、とりあえずエリーの自宅に向かうことにする。

2007-07-17

四日目・イサーンへ移動

北部の町チェンマイから東北イサーンの拠点となるコンケーンまでは飛行機を乗り継いでいくことになる。
直行便が無いので、バンコクのドンムアン空港で乗り継ぎ、Vの字に飛ぶことになるわけだ。
朝のうちはすることも無く、いちばん時間を潰せるのは空港だろうからと、早めにホテルを出た。
空港でレンタカーを返し、チェックインを済ませて、ふと見るともう搭乗が始まっている。

実は、チケットを予約した後でスケジュールの変更があり、1時間15分早まっていたのである。
(そういえば、そんな電話が航空会社からかかってたっけ)
何を勘違いしたか、予約時の古いメモのほうを持ってきたらしい。
今は、オンライン予約で紙の航空券が無くなったものだからこういうことが起こる。
危うく乗りそこなうところだったのだ。あぶない、あぶない、、。

コンケーン空港にはホテルのワゴンが何台も迎えに来ているので、そのなかからコンケーンホテルの車を選んで乗り込む。
よく満室で断られることがあるのだが、市街まで連れて行ってくれれば、部屋は無くとも問題ない。
歩いていける範囲に同等のホテルが何軒もあるから。

コンケーンホテルは珍しく空き室があったので、そのままチェックイン。
足を確保するために、まず友人のエリーに電話をかけた。
すると、彼女は足を骨折しているので迎えにいけないという。
めちゃくちゃ運転の下手な人なので、交差点で出会い頭に車をぶつけている様子とかが脳裏に浮かぶ。
話し声は元気なので大したことはなさそうであるが、かなり心配。
とりあえず、お父さんが代わりに来てくれることになったので、ホテルのロビーで待つことにした。

2007-07-15

三日目・チェンマイの一日

この一日だけは子供たちと過ごす時間は無い。
朝の食事を終えたらチェンマイ大学へ直行、ブンラクサー教授に会いに行く。
小さな体で世界を飛び回っている活動的な人で、今は近く完成する国立天文学研究所の準備に追われている。
いつもいきなり訪ねていくので出張中のことも多いのだが、この日は大学にいた。
昼食を一緒にということで連れて行かれたのはベトナム料理の店。
お子さんたちの様子を尋ねると、上の娘はチェンマイ大学でフランス語の勉強中、下の娘は近く留学することになったそうである。
親が一流大学の先生なのだから当然といえば当然なのだが、ウチの娘たちとの境遇の差をあらためて思い知らされる。

その後、空港近くのデパートで買い物。
目当ては新しく発売されているはずのパソコン用電子地図の全国版とチェンマイ版である。
それぞれ値段は1000円程度。
チェンマイ版は隣県ランプーンも載っているので、次女の家の周辺の位置関係がわかる。
全国版はこれから走り回る東北地方で役に立つはずだ。
問題は、持参したノートPCのCDドライブが不調で、ソフトのインストールができないってことなんだけど、、、。

2007-07-14

二日目・やっと眠れる

次女の家を出てから、すぐにでもチェンマイまで戻ってホテルで休みたかった。
が、せっかくここまで来ているのだからと、近くの村長さん宅へ向かう。
最初の訪泰時に道を尋ねた縁で、毎年挨拶に立ち寄っているのだが、実は留守のことも多い。
誰もいなければそのまま帰れるし、はるばる日本から来ているのに4キロ足を延ばすことを億劫がることもないだろう。

村長の家の庭に車を入れようとすると、同時に前からもう一台の車が入ってきた。
来客らしい。どちらにせよ、長居はしなくてすみそうだ。
村長も在宅中で、客は森林を保護する仕事をしているのだという。
いろいろ協力して活動しているのだそうな。
三人で庭に腰かけ、筆談も交えて話をしていたのだが、先方はさっき車を降りるときにビールの缶を下げてきていた。
僕にも飲むかと勧めるが、当然、運転するからと断る。
すると、風船を膨らませる真似をしておどけてみせるので、このあたりでも飲酒の検問が無いわけではないのだろう。
この国で「飲酒ぜったいダメ」という意識が根付くのには、まだ十年、二十年かかるのかもしれない。

その後、チェンマイに戻って定宿のターペープレイスホテルにチェックイン。
ここは地下に駐車場があるので、雨天でも荷物の積み下ろしに困らないのだ。
予定より遅くなったため、食事はとらずに寝ることにした。
朝の機内食以降、フライドチキンを一切れ食べただけだが、四十数時間ぶりのベッドなので、空腹も気にならなかった。

2007-07-13

二日目・次女へのプレゼント

次女とは一番付き合いが長い。
最初の数年はプランから年に1回、2枚の写真が送られてきていた。
引越しでプランの活動地域から出て行ってからは、ほぼ毎年訪泰時に会ってきた。
2歳のときからの写真をとおして見ていると、成長の様子がよくわかる。

で、今回、手元の写真をすべて複製し、一冊のアルバムにまとめたものをお土産として持っていくことにした。
20年以上前の写真など、大切に保管してきたものだが、今は簡単にスキャナで取り込めるから、いくらでも同じものが作れる。
自分の写真というものをほとんど持っていないので、喜んでもらえるはず。

 僕:「君を抱いて写ってる、この人は誰?」
次女:「お母さんです」
 僕:「違うよー。だって、体型がぜんぜん違うもの」
母親:「20年前は痩せてたの!」
若いころの写真に母親も大喜びである。

娘は自分と同じ年頃の女の子の写真が自分のお母さんだと言われて不思議そうな顔をしている。
最初は自分が写っていると思ったらしい。
この子のアルバムをプレゼントするのは、また20年後かな?

2007-07-11

二日目・次女の収入

次女の勤務は、毎日午後8時から午前8時までの夜勤である。
夜の12時間勤務となれば、日本では相当もらえるはずで、次女も結構稼いでいるものと思っていた。
今回、給料はいくらだ、と尋ねてみたところ、155バーツとのこと。
「時給じゃないよね?」「一日の賃金です」
コーラ1本買えば15バーツくらいか。
それを120円とすれば、日本で日給1200円程度ということになる。
今年のランプーン県の法定最低賃金が149バーツなので、その4パーセント増しでしかない。

物価が安いから給料も安くて大丈夫だろうと考えるのは間違い。
通勤に使うバイクを買うときに、タイのホンダが日本の半額で売ってくれるわけではない。
家にテレビが欲しいと思っても、ソニーや松下が現地価格を低く設定してくれるわけでもない。
むしろ、ちょっとした贅沢品だと、日本よりも高く売られているもののほうが多いくらいだ。

ちなみに、次女親子らを引き連れて、ショッピングセンター内のKFCへ行ったら、控えめにフライドチキンを食べただけで彼女の三日分の賃金を軽く超えてしまった。
ま、僕が払ったんだけどね。
いつの日か「おとうさん、ここは私が払います」って言ってくれるときが来るのかしら?

2007-07-10

二日目・孫娘ご対面

次女の家の前に車を乗りつけると母親が出てきた。
娘は夜勤明けで寝たところだと言うので、
「いい、いい。そっちは寝かせてやっといて。それよりニパダはどこにいるの?」
「学校に行ってる」「えっ?」

2歳で学校っていうからびっくりしたけど、要するに託児所のようなものらしい。
一緒に迎えに行ったら、村はずれの家に何人かの子供たちをまとめて預かっているだけのものだった。
昨年、すっかりなついて、別れるときには大泣きしたニパダだが、当然憶えていようはずもない。
まっ、怯えなけりゃ上等だろう。
家に向かう祖母の後をチョコチョコついていくニパダに、僕が恐る恐る手を差し出すと、しっかり握りかえしてニコッと笑う。
(えーっ、ひょっとして憶えてんの?? それとも、おまえ誰に対してもそんなんか?)

家では雑誌の付録を一緒に作って遊ぶ。
今回は講談社の「おともだち」5月号。
組み立てレジスターで、バーコードリーダーを商品に当てるとピッと音がするのである。
ほかにもクレヨンや100枚シール、あいうえおポスターなど盛りだくさん。
目が合うと必ず微笑んでくるのが、なんとも可愛い。

昼をだいぶまわってから次女が起きてきたので、一緒に町に新しくできたショッピングセンターへ行って食事をした。
服やサンダル、ボール、ミルクなどを買って帰って、いよいよサヨナラである。
「もう帰るね」と告げると、今年もニパダは泣きだした。
ああ、もう、後ろ髪が全部抜けちゃうよー。
次女が何とかなだめて、ようやくバイバイをしてくれたので、やっと安心して車を出せた。

*今になって思うと、泣いているときの写真が欲しかったなぁ。

2007-07-09

二日目・レンタカーでランプーンへ

チェンマイは国際観光都市であるから、市内のいたるところに小さなレンタカー屋がある。
こういった店で多少安く借りたとしても、メーターが壊れていたりとか、何かと問題が多い。
雨季のこの時期はバイクにするわけにはもちろんいかないし、車のワイパーに異常があるだけでも命取りになる。

というわけで、今回は空港でエイビスの車を借りることにした。
空港で借りるもうひとつの理由は、空港からいったん市街へ移動する時間が惜しいのである。
車に飛び乗ったら、すぐ次女の住む村まで直行。
(おおっと、その前にパソコンショップに寄って、ノートPCの電源を買っていかなけりゃ)

チェンマイ空港からランプーンの村までは60キロ弱、時間にして1時間もかからない。
半分も行くころには、すっかりタイの運転スタイルに適応している。
日本だと無謀運転にしか見えないんだろうけど、タイ人はこれで結構、あうんの呼吸で譲り合いができている。
少なくとも、他車に割り込ませないようにする嫌がらせとか、遅い車を煽ったり、幅寄せしたりする意地悪は、圧倒的に日本のほうが多いといえる。
法的に優先とされる側が大きい顔をするのではなく、車の性能や技量、その場の状況で最適な行動を周囲の車両がとってくれるのだ。
遅い車が追い越し車線をふさいで流れを妨げることも無い。
個人的には、同じ交通量の道路ならタイの方が運転は格段に楽だと感じている。

2007-07-08

二日目・眠たい出国

朝4時起きで仕事に出た後、帰宅後すぐに出発し、夜中に空港について、日付が替わったところで飛行機に乗り込む。
6時間近いフライトでタイ入りしたあと、国内線にそのまま乗り換えてチェンマイへ。
チェンマイ空港でレンタカーを借り、ランプーンの次女宅を訪問してからチェンマイに戻りホテルに宿泊の予定である。
この間45時間ほど不眠となるため、少なくとも空港や機内で可能な限り休息を取っておかねばならない。
といっても、座って眠るのは辛い。
この最初の睡眠不足がいつも最後まで悪影響を及ぼすのである。
結局、電車内でも関西空港でもあまり休めず、機内で多少ウトウトしただけだった。
あ~、今年もダウンの予感...。

2007-07-07

一日目・出発

仕事が少し早めに終わったので、家を出るのを1時間早くした。
そのため、持ち物の準備が慌しくなって、まあ、パスポートと現金・カードがあればあとは大丈夫、と駅まで送ってもらったのだが、案の定、忘れ物がいくつか。

特に、忘れたA4ファイルには道路地図ほか重要書類がいっぱい入っている。
なかでも今年の民際の新人・三男のプロフィールを忘れたのは痛い。
本人の名前も学校名も覚えていないで、どうやって訪ねるの?
さらに、航空券の受付番号をプリントしたものもそこに入れていた。
そもそも飛行機に乗せてもらえるのか?
って、これはメールの形でノートPCの中に入っていたので、読み出してメモ帳に書き込む。
やれやれ。
と思ったのもつかの間、PCのACアダプタも忘れてきてる!
バッテリーが切れた時点で、ただの重たい荷物になってしまうじゃないか。

う~ん、今年も前途多難である。