訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2012-01-25

プラン危機一髪

タイ警察が、バンコクでテロが起きる可能性ありということで注意を呼び掛けていた。
直後にテロリストとされる人物が逮捕され、テロは未然に防がれたとのこと。
それにしても、今回のテロ計画には驚かされた。
テロの対象とされた建物はオーシャンタワーⅡで、25階に入居しているイスラエル大使館が狙われていたというのである。
実はこの建物、その少し下の階にはプラン・タイランドの統括事務所が入っているのだ。
何年か前、表敬訪問のつもりで立ち寄って、すっかり休憩場所としてくつろいだことがある。
ビルに入るだけでも厳しいチェックがあったのは、大使館まで入居していたからだったのか。
周辺は日本人も多いスクンビット地区で、何かあったら大騒ぎである。
というわけで、日本大使館からタイ在留邦人あての緊急メールが配信されたというわけ。
まだ完全に危機が取り除かれたと言いきれず、警戒は続くのだそうだ。

アメリカ・イスラエルとイランの対立など、またまた世界がきな臭くなってきているのだけれど、ま、いきなり外国でドカンなんてのは二度とやってほしくない。
超大国アメリカの強権ぶりも不戦国家日本の忠犬ぶりも、全然世界平和に貢献できていないどころか、逆効果になってしまっているのがこの世界の不幸である。
国際都市バンコクも、最近国内の権力闘争で評判を落としてしまい、そこへ未曾有の大洪水で体力も大きく削がれてしまった。
この上、外国の紛争に巻き込まれるようなことは絶対あってはならない。
くれぐれもタイの治安当局にはがんばってもらいたいものである。
それにしても、第三国でのテロ行為は国際社会で孤立するだけで、なんにも自分たちに利することが無いってことをテロ指導者はいつになったら理解するんだろ。

2012-01-16

会食

タイ滞在最終日、元プランスタッフの友人と食事をすることになった。
この日はほかに予定も無く、飛行機も真夜中出発なので時間はたっぷりある。
もともと、何かあった時の予備日だったのである。
彼女の仕事が終わってからということで、ホテルで待ち合わせて夕食を一緒にと約束する。
本来なら時間を持て余してしまい、せわしなく街を歩きまわっていただろうけど、腰を痛めているから何もしない時間がありがたい。
昼まではホテルの部屋でゴロゴロ過ごし、チェックアウト後は荷物を預けてロビーでやはりゴロゴロ。
民族衣装の女性が伝統楽器の生演奏をしているのをすぐ近くのソファで聞きながら、チェンマイの古書店で買ってきた文庫本を読む。
不相応に贅沢な時間に、なんでホラー小説なんか買ってきたのかってのが唯一の後悔であった。

文庫を少し読んではウトウトというのを繰り返していると、彼女から電話がかかった。
非常に恐縮して、今夜の食事をキャンセルさせてくれというのである。
現在、バンコクにあるオーストラリアの大使館に勤めていて、何でもタイの警察のお偉いさんと彼女のボスが会食をすることになり、通訳として同行しなければならないというのである。
これはもう仕方が無い。
どちらが重要かっていう前に、出てくる料理がそもそも違うだろう。
ま、直接会うことはかなわなかったが、電話で何度も話せたし、こちらはそれで十分。
来年の再会を約束して電話を切り、早めに空港へ向かうことにした。
結局、一流ホテルの有名レストランへは一歩も立ち入ることなく日本へ帰ることになってしまったのである。

2012-01-13

四女

腰痛のため訪ねていけないので、四女もホテルに来てもらうことにする。
せっかく高級ホテルに泊っているので、ホテル内の日本食レストランにでも連れていってやろうとの思惑。
次男グループとでは絶対いやだけど。

薬局勤めの四女の勤務は午後9時までなので、終わり次第ホテルに来ることになった。
バンコクの北のはずれにいるので、移動はちょっと不便だ。
車代は払ってやるからタクシーで来なさいと指示。
立っているのも辛かったが、時間より早くホテルの玄関に出て到着を待つ。
なぜ日本人だとわかるのか、ドアボーイがサッカーでの日本の活躍を教えてくれる。
乗りつけるタクシーを何台見送ったかもわからなくなったころ、ようやく四女が乗った車が着いた。
前回は彼女がバンコクに出てきて間もなかったが、それからちょうど1年が過ぎている。
どんなに変わっているか不安だったけれど、髪も染めずにいることにちょっと安心。

それじゃ晩ご飯食べながら、と思いきや、ホテル内のレストランは軒並み営業時間を過ぎていて閉まっている。
バーのたぐいはやっているらしかったが、娘を連れて行く気にはならない。
周囲の人間が彼女のことを誤解してみることが明らかだから。
で、仕方なく部屋に戻って、大きな机を挟んで筆談によるインタビュー開始である。
低賃金で長時間勤務、休みもほとんど無い職場環境であるが、薬局は常に客でごったがえすことは無いわけで、仕事そのものは過酷というわけではなさそう。
彼氏はできたかと尋ねたら、「私はきれいじゃないから」と否定する。
これは親の贔屓目を差し引いても謙遜が過ぎる。
ま、性格がおとなしい上、親戚の家に同居しているので、男連中も誘いにくいのだろう。
といっても、彼女ももうすぐ22歳。
次の1年間がもっとも心配なのがこの娘であることは変わりないのである。

2012-01-06

次男

次男から電話がかかってきたのは、空港からホテルへ向かうバスの中にいるときだった。
友達の携帯電話を借りているとのこと。
彼はマハサラカムから就職でバンコクに出てきていて、事前に実家近くに住む従姉妹から連絡をつけてもらっていたのである。
いつホテルに着くかと言うので、間もなくだからホテルのロビーで会おうということにした。
ホテルにはすぐに着いたが、腰が痛いためすぐに部屋へは行かず、チェックインを済ませてそのままロビーで待つことにした。
次男の勤め先はチャオプラヤー川の反対側なので、先方のほうがかなり時間がかかるようである。
しばらくして待ちかねた次男がホテルに入ってきたが、これが何とも場違いなのだった。

実はこのしばらく前、このホテルの周辺で暴動があって、まだ周辺にはあちこちに焼け跡がある状態。
ホテルの中でも爆発があり、ようやく営業を再開して間もないときだった。
当然、海外からのセレブも多く宿泊するホテルのセキュリティは厳しく、入ってくる車も、歩いてくる人も、金属探知機でのチェックはもちろん、手荷物も全部開けて見せてからでないと通してもらえない。
いたる所に立っている警備員はもちろん、従業員が常に歩き回って周囲に気を配っている。
こちらはやましいところが無いはずなのに、変に疑われないよう、キョロキョロすることすら控えるようになっていた。
そこに現れた次男は、中学時代から100キロを越していたくらいで、日本にいたら相撲部屋以外就職口は無いだろうという巨漢である。
これが左右に友人とおぼしき同年代の少年を二人引き連れていて、三人が三人とも高級ホテルに不似合いなTシャツ・半ズボンにサンダル履きである。
街中で見かけても、腕に覚えの不良少年グループにしか見えないだろう。
手ぶらの上に宿泊客との待ち合わせだから通してくれたものの、もし紙袋でも提げていようものならどう扱われたことやら。
僕は彼が気の優しい子だとよく知っているし、その友達もおとなしいいい子達であることはすぐに分かった。
ただ、この三人を引き連れてホテル内を歩くのだけは少々キツかったものである。

2012-01-02

贅沢

年に一回の訪タイでは航空会社のマイレージもなかなか航空券に交換できるまでにはならない。
で、たいていは期限が来る前にホテルの宿泊券に交換することになる。
ところが、マイレージ・サービスで泊まれるのはわりとデラックスなホテルなのである。
これまではチェンマイやコンケーンで使っていたが、2010年、初めてバンコクで使ってみた。
バンコクでも老舗の一流ホテルである。

寝るだけには広すぎる部屋に大きすぎるベッド。
一人で一泊するだけなのに枕が8個もある。
いつもなら出歩いてばかりでホテルには寝に戻るだけなのだが、この時は腰を痛めていたので一歩も外出しなかった。
バンコクで働いている次男と四女との面会もホテルへ呼び寄せることにして、ホテルでのんびり過ごす。
食事に行くのも億劫なので、ちょっと高くつくけどミニバーのスナックとビールで一食済ませることにした。
高級ホテルゆえか、飲み物の値段表などは見当たらない。
ま、宿泊費がタダなんだから、ということで気にしないことにする。
驚いたのは、翌日のチェックアウトの時。
なんとミニバーの料金が、いつものバンコクでのホテル一泊分に相当する金額だったのである。