訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2011-09-23

グラミン銀行は貧困救済の特効薬か?(12)

【BOPビジネス】
昨今経済界で話題のBOPビジネス。
よく紹介される事例に、途上国で石鹸を売ってみたら、衛生環境が改善されて企業も儲かった、という話がある。
新しい市場開拓が途上国の生活改善にも役立つ、Win-Winなビジネスだというのである。
なるほど、小さな石鹸ひとつでも、何億人という石鹸を使ったことのない層が新たに消費者となれば、企業は大儲けだ。
それによって、途上国の衛生問題が相当改善されることも間違いない。
この方面で出遅れたといわれている日本も、今になって政府も積極的にBOPビジネスへの取り組みを後押ししだしたところだ。

これまで先進国の企業が見向きもしなかった貧困層を消費者とみる動きが出てきたのは、グラミン銀行の成功があったからだという。
つまり、あらゆるBOPビジネスの目指すお手本がユヌス氏なのである。
BOPビジネスも、都合の良い一面だけを宣伝して万能のモデルのように言うあたり、なるほどグラミン起源だと思い知らされる。

当事者の立場で考えてみよう。
八方ふさがりの日本が途上国を新市場とするとき、本音では相手のことなど微塵も考えてなどいない。
新しいカモを見つけた、というのが最も正確なのではないか。

一方、途上国の貧困層にしてみれば、これまで無ければ無いでやってこれたことが、強力なコマーシャルと販売戦略によって、あれも欲しい、これも欲しいという、物欲優先の生活に変わっていくということである。
石鹸で済んでいるうちはいい。
しかし、日本の企業がそれでとどまるか?
やがて、テレビを買うために借金し、冷蔵庫のために娘を売る、なんてことがあちこちで起こり始めるのである。
BOPビジネスが、本当にWin-Winで成長していくためには、あと一つ、大事な要件が抜けているのである。
それは、消費社会に変貌していくためには、相応な現金収入が必要だということだ。
貧困層の人たちも、まず石鹸が買えるだけの収入を得なければならない。
やがて、テレビや冷蔵庫が買えるだけの収入を得なければならない。
そうしてはじめて、それらを買うことが「生活の改善」につながるのである。
収入が無いまま、モノだけを目の前にぶら下げられても困るのである。
一見豊かになったように見える生活の裏で、常に大きな借金をかかえ、日々返済のために働き続けることになる。

さらに言えば、貧困層の生活改善に役立つというモノ(たとえば石鹸)だって、何も外国企業の進出に頼る必要などないのである。
国内に自己資本の石鹸工場ができ、労使ともに自国民で雇用を確保することが本来の理想なのではないか?
BOPビジネスは、その芽さえ摘んでしまう。
ようするに、BOPビジネスとは、先進国による経済侵略であり、貧困層からもさらにまきあげようという、血も涙もない戦略なのだ。

実は、国民の多くがどん底の貧困層にありながら、ごく短期間で大量消費かつ大量生産国へと変貌していった国がある。
言わずと知れたニッポンである。
外国企業のカモにならず、国民が豊かになることで、生活改善商品をどんどん購入できるようにしていくこと、それをあっというまに成し遂げた奇跡の戦略は、当時「国民所得倍増計画」と呼ばれた。
まずは儲けることが目的だったのだ。
当面使い道が無ければしっかり貯金もした。
そういう状況にあったからこそ、国民の大部分がテレビとかマイカーといった高額商品購入をめざし、そして実現していけたのである。

つまり、ここで必要なのは外国企業の思惑などではなく、真に国民のためになる強力な政治力だということだ。
小作農が起業するためのプチ融資なんかではなく、農民のままでいてもそれなりに収入を得られるようにすることだ。
それはたとえば、日本がかつておこなった「農地改革」のような政策なのである。
ユヌス氏が政治家になっていたとして、果たしてこういった真逆の政治がおこなえたかどうか、非常に怪しいものなのである。

2011-09-14

グラミン銀行は貧困救済の特効薬か?(11)

【政治】
学者でありながら始めたビジネスで伝説的な大成功を収めたユヌス氏は、後に自ら政党を立ち上げる。
この計画は失敗し、現首相との対立が激化する。
日本ではもっぱら、無能な政治家が嫉妬心と保身のために目の上のタンコブを叩いている、という構図で語られることが多いようだ。
しかし、国の貧困問題に最大の貢献をしている(と海外でも評されている)人物が、政権与党の党首兼首相から非難・攻撃されるというのはどういうことなのか?

ここで思い出されるのがタイのタクシン元首相である。
彼もまた、警察官時代に始めた通信ビジネスで大成功し、後に新政党を率いて政界へ進出した。
タクシン氏もまた貧困解消に前例のない熱意でもって取り組み、これまでないがしろにされてきた地方の農民の支持を得た。
ユヌス氏にせよ、タクシン氏にせよ、貧しい人たちへの同情が無かったとは言わない。
しかし、取った行動のみを冷静に見れば、その目的が私利私欲のためだったと取られても仕方がないようなことをやってしまっている。

財を成した人物がさらにその富を増やそうとしたとき、もっとも邪魔になるのが「政治」である。
その障壁を取り除くには、商人と悪代官よろしく結託するか、さもなくば自分自身が政治家になるしかない。
選挙とは民主主義の象徴であるが、貧困対策は実は非常に巧妙な集票工作なのである。
現在、どの国を見ても選挙は一人一票である。
これは有権者にとって厳密に公平なこと、と思われがちであるが、候補者にとっては逆に公平とはなっていないのである。
簡単に言えば、貧乏人から票を集めるのは安くつく、ということである。
たとえばタクシン氏は貧者の医療費を30バーツ均一にした。
それは医療現場からは反発を受けたが、医者の数より医療費に困っている患者のほうが圧倒的に数が多いわけだ。
その票をもとに政権をとったタクシン氏は、さまざまな法の裏を突くやりかたで、さらに巨大な富を築いた。
さすがに、貧困問題と取り組みながら、自身が国一番のお金持ちになりあがる、ってのは言い訳がきかないだろう。

政治の本来の目的は富の再分配にある、といっても過言ではない。
公共事業も教育も福祉も、すべてはそのための手段なのである。
したがって、不当に貧しい人があれば、不当に儲けた人間から富の一部が還元されなければならない。
そのためにいったん国に預けるのが税金というものなのだ。
「儲けるな」とは言わないが、誰よりも儲けている政治家というのは、存在自体が矛盾を含む、信用ならざる人間なのである。

2011-09-10

グラミン銀行は貧困救済の特効薬か?(10)

【融資の対象】
グラミン銀行は貧しい人ほど歓迎する、というのがカンバンである。
女性であれ、障害者であれ、前職が乞食であっても積極的に融資をおこなう。
これをして、グラミン銀行が弱者の自立を積極的に支援していると普通は思ってしまう。
しかし、ここにも問題はある。

そもそもユヌス氏が女性ばかりに金を貸すのは、女性のほうが返済率が高いからだと自身述べている。
最初は男性にも融資したが、それでは商売にならなかったというわけだ。
つまり、グラミン銀行の融資は、相手が弱者だからということでは選ばれない。
起業家としてのやる気と資質が問題になるのである。
だから、「うまくやっていける者」であるなら、女性であっても乞食であっても歓迎する、というのが正しい解釈となる。
これは裏を返せば、うまくやっていけない者には金は貸せない、ということだ。

一見、最底辺の人たちを救済しているように見えて、実は結構キビシイのがグラミン銀行の融資である。
「機会を与えるから、あとは自力でここまで登ってきなさい」と資本主義社会での成功者は言う。
だが、誰もが成功はしないのが資本主義である。
ユヌス氏はバングラデシュの雇われ人は搾取されるだけだから自営になるのが一番簡単なのだと言うが、「1億総社長サン」はいくらなんでもあり得ない。
当然のことだが、大きな責任を負うより、人のもとで働くほうが性に合ってるって人も多いのだ。
食うに困らなければそれでいい、金が余ればギャンブルでもやろか、というダメ親父だっているのだ。
そんな人たちでも、それなりの労働にはそれに見合った報酬が得られるようにすることこそが大切なのではないだろうか?

パナソニックの創業者は、どんなに経営が厳しい時でも、末端の従業員、系列の販売店員、さらにはその家族にいたるまで、ダメ社員もいることを許容したうえで、そのすべての生活を守ろうとしたという。
日本式終身雇用制にも問題点はあろうが、被雇用者であっても生きがいを持って働ける社会なら生産性も上がり、生活も向上するのではないか。
日本の発展はそうしてなされてきたはずだし、「1億総中流」という奇跡的成功例を示したのである。

一方グラミン銀行は、社長サンになれた人だけ取り上げてサクセスストーリーを宣伝する。
しかし、それは取り残された多くの人々については触れない、一面だけの物語なのである。

2011-09-07

グラミン銀行は貧困救済の特効薬か?(9)

【ノーベル賞】
ユヌス氏の日本での高評価は、彼とグラミン銀行のノーベル賞受賞で確定的なものになったようだ。
世界が認めているのだから間違いない、というわけである。

しかし、そもそもノーベル平和賞というものは、ほかのノーベル賞と違って、対象者の真価を保証するものではないのである。
ベトナム戦争を支援し、裏では核持ち込みも容認していながら、自国民をなだめるためにでっち上げた建前「非核三原則」でちゃっかり平和賞を貰った某国の元首相とか、演説に核兵器削減を盛り込んだだけで、相変わらず世界中でドンパチを続けている某国の現大統領とか、受賞と実態が乖離してしまっているのがノーベル平和賞なのである。

科学関係のノーベル賞は、業績が「正しかった」と認められるだけでなく、そこから後の発展、応用まで含めて、真に人類に貢献したと認められて初めて受賞に至る。
したがって、引退後に受賞することもしばしば、場合によっては故人になってて受賞を逃すことも稀ではない。
ところが、平和賞に限っては、政治的な力関係や外国政府の思惑、時には気に入らない国への嫌がらせのために、その国の政治犯を受賞させたりと、名前とは裏腹にドロドロの陰謀渦巻く賞なのである。
無論、選考委員には自負もプライドもあり、自ら信じるところに従って、何ら良心に恥じることなく受賞者を選んでいるはずだ。
しかし、一方で、過去の選考を恥じたり後悔したりということも少なくないと聞く。
ノーベル平和賞委員会が自ら「最大の過ちだった」と懺悔したのは我らが佐藤栄作氏の受賞に関してだった。
ユヌス氏の受賞も後にキズモノとならなければ良いのだが。

ちなみに、委員会に推薦状を出すなど、ユヌス氏の受賞に尽力したのはアメリカの歴代大統領。
本来、貧困の撲滅には、程度の問題はともかく、社会主義、共産主義的手法が必須と考えられていたわけで、ユヌス氏の言う「資本主義こそが貧困を無くす」という主張はアメリカにとってこんなオイシイことは無いわけだ。
なんとかこの主張を世界に認めさせたいと考えるのは当然である。
これもまた、「アメリカが正義をおこなうのではない、アメリカがおこなうことが正義なのだ」という独善国家の所業の一例である。

2011-09-03

グラミン銀行は貧困救済の特効薬か?(8)

【開発の歴史】
ユヌス氏が、当初、援助ではバングラデシュから貧困は無くならないと言ったことは間違っていない。
バングラデシュが独立した1971年から1983年のグラミン銀行設立までの12年間、この国は世界中から莫大な金額の援助を受けてきた。
しかもその半分以上が贈与だった。
にもかかわらず、その12年間でバングラデシュから貧困は無くならなかった。
原因は、災害やら腐敗した政治やらいろいろあるが、援助する側にも多くの悪い点があったからだ。
なにしろ、援助に関わっていたドイツ人が「死を招く援助」なる本を著して、バングラデシュのためには即刻援助を中止すべし、と訴えたのがちょうどグラミン銀行発足直後のころである。
日本の援助もひどいもので、その詳細をここに書くことは省くが、納税者の一人として、穴があったら担当者を埋めてやりたいくらいなものである。

そんななか、アメリカ資本主義に帰依したユヌス氏が、貧困から抜け出るには起業して自営業者になることが一番、と考えたのも無理はない。
「援助では彼らを助けることができない」と言うときの「援助」とは、この頃の「ダメダメ援助」である。

さて、海外から流れ込む莫大な援助金を否定し、融資にまわしてこそ貧しい人たちを豊かにできるとユヌス氏が宣言してから、28年が過ぎた。
バングラデシュは今日、貧困を過去のものとしたであろうか?
ユヌス氏は、孫の世代には貧困は博物館で学ぶものになっているはずだと発言している。
すでに折り返し点である子の世代にはなっていると思うが、相変わらず、バングラデシュは世界の最貧国のままである。
グラミン銀行が、自身言うように有効な手段であるなら、とっくにバングラデシュは金持ちばかりになっていなければならないはずだ。
資源のない日本が、戦争に負け、多くの働き手を亡くし、焼け野原から出発した1945年から、19年後にはオリンピック、25年後には万国博覧会を開催しているのである。

あえてここで言いたい。
そんなご立派なグラミン銀行が世界中から支持と支援を受けておこなった28年間の開発実験で、いったいどれだけのことを成し遂げてきたのか?
確かに28年前よりは豊かになったし、貧しい人たちも減ってはきた。
しかし、その限定的な成果すらグラミン銀行の手柄というわけではない。
なぜなら、この28年の間には、政治も改善され、海外からの援助も見直されてきたのだから。

バングラデシュへの海外からの援助金は、即刻中止どころか、年々増加し続けた。
当然、指摘され始めた悪しきプロジェクトは見直され、より有効な援助手段が模索された。
バングラデシュの僅かな発展には、グラミン銀行以上に、そうした滞ることなく続けられてきた海外からの援助が、それはそれなりに役立っていたはずなのだ。

2011-09-02

グラミン銀行は貧困救済の特効薬か?(7)

【逆転の理念】
そもそもグラミン銀行を持ち上げる人たちは、途上国への援助活動に対して人並み以上に関心を持っている人たちである。
そしてこれまでの援助活動が決して完全なものでないことをよく承知している。
だからこそ、ユヌス氏の思想に触れたとき、逆転の発想に「目からウロコが落ちた」と感じ、心酔してしまうわけだ。
僕が最も危惧するのはこの部分で、グラミン銀行のやり方を讃えるあまり、これまでの方法を否定したり、軽視してしまうことが心配なのだ。

ユヌス氏は次のように言う。
「施しは相手の自尊心・自立心を奪ってしまう。融資は責任感と計画性を育てる」
これを聞いて多くの人は感銘を受け、ユヌス信者になってしまうのである。
そのとき実は、「目にウロコが飛び込んで」しまったことに気づかずに。

社会の仕組みによって最底辺の生活を強いられながら、それでも頑張って生きてきた人々の立場になって考えてもらいたい。
不公平なことに、生まれが違うだけで裕福な連中が世の中にはたくさんいるのである。
この溝は超えられないと思っていたある日、どこかの誰かがやってきて、まとまったお金を無条件で与えてくれたとする。
「この金でやりたい仕事を始めてしっかり儲けなさい。あとはあなたの才覚次第だ」と。
さて、この貧しいバングラデシュ人は、金を恵まれたことで自尊心を傷つけられたか?
その金で遊んで暮らすことを覚え、自立心を失っただろうか?

その金が貸してもらえたものであろうと、貰ったものであろうと、天から降りてきた唯一のチャンスであるなら、彼はその蜘蛛の糸に最大限の感謝をして、自らの最善を尽くすはずだと僕は信じる。
たとえ失敗しても、それは貰った金だから失敗したんじゃない。
なんらかのほかの条件が悪かった結果だ。
逆に成功するときは借りた金でも貰った金でも成功する。

実は、グラミン銀行の融資と比較できる「無条件で現金を与えて、あとは自由に使わせる」というタイプの活動がほとんど見られないことが、グラミンの理念を絶対視してしまう原因なのだ。
では、返済を前提としたグラミン方式の融資は間違っているのかというと、そうではない。
返済が行われることで、この融資は永久に繰り返すことが可能なのだ。
すなわち、一回きりで終わるのではなく、何度でも資金提供を続けていくことにこそグラミン銀行の意義があるのである。
それなのに、ユヌス信者は、「金を与えることは相手をダメにするんだ」とトンチンカンな方向へ理解してしまうのである。

2011-09-01

グラミン銀行は貧困救済の特効薬か?(6)

【返済率】
グラミン銀行の融資は、その驚異的な返済率の高さから、システム全体が非常に優れているとされる。
なにしろ貧乏人ばかり相手にして98パーセントの返済率だというのだから凄い。
しかし、この高すぎる返済率が逆にアヤシイと思わなければならない。

そもそも開発援助が目的であるなら、その事業の成功をもって融資の成功としなければならない。
単に貸した金が戻ったというだけなら、それこそサラ金と変わらないわけである。

では、98パーセントの返済率にはどんなカラクリがあるのか?

まず、(2)でも書いたグループ制度が、ムラ社会においては、現代の日本人の想像以上に人を縛っていると思われる。
事業に失敗してもまず返す。
借りる前より貧乏になろうとも、とにかく返す。
そうしないと、周りの人に迷惑をかけることになるから。

次に、日本のサラ金でも見られる「借り換え」が考えられる。
結局借金はそのままなのだが、グラミン銀行には返したことになる。
その金は他から借りてくるわけだが、その貸し手の原資がグラミンからの融資、なんていう笑い話みたいな事例も少なくないと聞いている。

もともとグラミン銀行の融資は少額を借りてチマチマ返すというのが基本である。
これは先進国で普通に行われている割賦販売みたいなものと考えたらわかりやすい。
テレビを買って6回払い、次は冷蔵庫で10回払い、次の夏までにはクーラーも買おうか、と日本人なら誰でもやっていることである。
この「月賦」を完済することを借金の返済率としているわけだ。
通常の金融機関による起業者への融資と比べれば、高い数値を示すのは当たり前なのかもしれない。

われわれがクレジットカードを日常生活の中でうまく使っているように、多くの場合、彼らはグラミン銀行から上手に借りて上手に返しているのだろう。
返済率が高いということはシステムが安全に機能していることにはなる。
しかし、その本質は利用者の物欲を刺激し、消費活動を行いやすくすることで、結局は企業や金融機関が儲けるシステムに過ぎないのである。
ローンやクレジットが便利なのは認めるが、それらが貧困地域の生活水準を上げていく助けになっているとは限らない。