訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2008-02-24

携帯電話

ドンムアン空港から列車で市内へ移動中に、すごい携帯電話を見た。
向かいの座席に座った青年が持っていたそれは、かなり古い型のストレートタイプ。
なんと、前面のケースが無くて、基板がむき出しなのである。
基板や電池が落ちないように、何本かの輪ゴムが巻きつけてある。
当然、ボタン部分も接点がむき出しである。
(使えるのか、それ?)
道端に落ちていても誰も拾わないような、その携帯電話を左手に持った彼は、続いてポケットからボールペンを取り出し、そのペン先で剥き出しの基盤をつつきだしたのである。
驚いたことに、それで電話は通じたらしく、用件を話し終えた彼は、再びペン先で基板を一突きした後、それらをポケットにしまいこんだ。
通話料金が安い分、本体価格が高いので、日本のように簡単に買い替えができないのであろうが、そこまで使い切るかと、感心させられてしまった。

最近、可動部にガタのある自分の電話機を新調しようかと考えているのであるが、あの電話を思い出してしまうと、後ろめたさを感じてしまって仕方ないのである。

2008-02-16

カラシン先生のこと(3)

先生が亡くなった翌年は、車でイサーンを巡るいつものパターンを止め、飛行機で一気にサコンナコンへ向かった。
バイクタクシーで先生の自宅へ訪ねていくと、ちょうど、ご主人が娘のジューンを塾へ連れて行こうとしていたところだった。
一緒に車に乗せてもらい、車中で持参した大伸ばしの写真をジューンに渡す。
一昨年撮影した、先生とジューンの写真である。

ジューンを降ろしてから、再び家に戻ったら、ご主人が何冊ものポケットアルバムを見せてくれる。
写真はカラシン先生の葬儀の様子を記録したものだった。
多くの人が先生の死を惜しむ様子が見てとれる。
この後、ご主人は、僕が子供たちを訪ねて回るのに車を出してくれると言う。
しかも、いつもカラシン先生とペアを組んでいたウィナ先生にも連絡して、同行するよう頼んでくれた。

来年、長男の高校卒業で、6年通ったカラシン先生の学校とも縁が切れてしまう。
おそらく、これからもこの町にはやってくるだろうし、その時にはウィナ先生にも会いたい。
そこで、子供たちの家を巡る間、ずっと考えていたこと、「カラシン先生記念奨学金」の構想を、ホテルまで送ってくれた二人に打ち明けてみた。

ウィナ先生も乗り気だったので、一気に段取りを決めてしまう。
通帳の管理などはウィナ先生にお願いし、僕が訪タイするたびに1年分を通帳に継ぎ足していく。
今年は3年分を入金し、万一に備えてプールしておく。
対象生徒の選定はウィナ先生他、学校で決めてもらい、その子が卒業したら、入れ替わりに次の生徒を選ぶことにする。

スポンサーひとり、対象学生ひとりという、世界最小規模の奨学金制度ではあるけれども、先生の勤めた学校で、先生の教え子になるはずだった子供たちに、先生の情熱を少しでも伝えていけたらと思っている。
なお、第1号奨学生のダルニーは、この春大学に進学する予定である。