訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2008-08-31

晴耕雨読・自給自足(4日目)

学校内をいろいろ見て回っていると、いたるところで子供たちが働いている。
ペンキとローラーを準備している子らは、これから校舎の塗装にかかるらしい。

豚小屋の清掃をしている女の子たちもいる。
プランの援助でできた水槽には、魚の世話をする係の曜日ごとの当番表が書かれていた。

壁にかかっている写真には、おそらく販売もするのであろう、ホウキなどを手作りしている様子が写っている。
こういった作業もプランの指導でおこなっているようだ。

この学校では授業以外のこともいろいろと学べそうだし、それは下手な学科よりも社会で役に立つだろう。
何より、いろんな体験は学校生活を面白くしてくれると思う。
塾通いに忙しい都会の小学生に比べれば、羨ましいくらいである。
ただ、高校へ、大学へ、という進路が、すでにこの段階で閉ざされてしまっているのかもしれない。
学費の問題だけなら奨学金という解決策もある。
しかし、小・中学校で授業より作業が優先されて、十分な学科の教育が受けられないのなら、奨学金を受ける資格すら得られなくなってしまう。
なんとも悩ましい現実なのである。

2008-08-22

デザートに行列(4日目)

この小学校は特に金の無い学校らしい。
ほとんどの生徒が、片親か両親がいないと説明された。
「ほとんど」というのは誇張が過ぎるか、聞き間違いだろうと思うのだが、そういった子が多いことは確からしい。
運動場には、手に歯ブラシと水を持った子供たちが並んでいる。
水道が少ないので、水を汲んだらクラスごとに運動場へ出て行って歯磨きタイムになるようだ。
校舎を見学していると、低学年の子供たちが先生の指示で教室から出てきて数列に並び始めた。
何事が始まるのかと思ったら、先ほど買ってきたランブータンを配るらしい。
列の先では上級生の女の子が一人に3つずつランブータンを手渡していて、それを受け取ると、胸に抱えるようにして全力で走っていく。

子供たちは、すぐさま教室や運動場のあちこちで器用に皮を剥いて食べ始めた。
給食の後で予定外のデザートになったらしい。
ランブータンの総数も分からないままいきなり配って、ちゃんと全員にいきわたったのだろうか?
なんとも大雑把な配り方である。
それにしても、誰が買ってきたかの説明はちゃんと子供たちにしてくれたのか?
この件に関して、僕のところに「ありがとう」って言いに来た子は一人もいなかったぞ。

2008-08-19

中学は素通り(4日目)

オラタイの通っているという中学の前を通り過ぎ、結構離れたところにある食堂に到着。
道路沿いにあって、屋外のテーブルの下には犬がうろついているという店だが、値段は安そう。
当然、支払いは全額スポンサー持ちであるが、オラタイと両親、プランのスタッフらとで総勢8人の昼食が総額780円ほど。
タオさんがこれから行く学校へお土産を買っていかないかという。
「ランブータンを買いましょう。大丈夫、安い安い」
道べりに並んでいる店へ立ち寄って、果物を買わされることになった。
真っ赤なランブータンが大きなビニール袋に詰め込まれて並んでいる。

「3袋買いますか? 大丈夫、安い安い」
「やっぱり4袋にしましょう。大丈夫、安い安い」
人の財布だと思ってか、かなり調子のいいオヤジである。
が、確かにトラックの荷台にドカドカ載せて960円というのは、日本では考えられない価格である。
しかし、これを子供たちが喜ぶのかね??
で、いよいよ学校へ行くことになったのだが、先ほど来るときに通った中学の前は素通りしてしまった。
あれれ、と思っていると、到着したのはチャイルドが卒業したという小学校である。
後で気がつくことになるのだが、この地での活動を見せるにあたって、プランが大きくかかわっている小学校を見学コースとしたらしい。
ここの設備には、あらゆる所にプランのシンボルマークが描かれていたのである。

2008-08-18

新チャイルド訪問(4日目)

しばらく走って到着した新しいチャイルドの住む集落は、タイ東北のどこにでもある風景である。
ありあわせの木材で作ったような隙間だらけの高床住居が並び、乾いた地面からは細かい砂埃があがる。
隣の空き地では水牛が草を食み、木陰では年寄りが赤ん坊の寝るハンモックを揺らしている。
今日、ここがいつもと違っているのは、外国から来たという客を見ようと、近所の連中がひとつ家に集まっていることだ。
あまりに人が多いため、誰がチャイルドの家族で、誰が他人なのかが、最後までわからない。
シーサケートでのプランの活動はまだ5年目なので、スポンサーの訪問自体が珍しいのだろう。

新チャイルドのオラタイはおとなしい14歳の中学生で、あまりしゃべらないが、笑みを絶やさず、気配りも怠らない、好感の持てる女の子だった。
もっとも、対話はもっぱらパソコン経由の筆談だったから、直接会話することが少なかったのは、こちらのせいでもある。
「彼氏はいるの?」
「いません」
「じゃ、これ読んで勉強ね」
日本で適当なものを買ってこれなかったので、彼女へのお土産はチェンマイで調達した芸能雑誌と男女交際のhow to本である。
本のタイトルは「男の子が無神経なので女の子は大変」とかいった感じ。
ま、人として好かれるためにはどう振舞うべきか、といったことが書かれている(と思う)ので、男の子云々はともかく、読んでも無駄ということにはならないだろう。

しばらくして、タオさんに促され、食事に行くことになった。
プーウィエンでは、いつもファミリー宅で食事が出ていたが、ここは少し行くと食堂があるらしい。
衛生上、非常に問題のありそうな家庭料理には、正直、辟易していたので、多少はマシと思える外食は望むところであった。

2008-08-16

シーサケートの事務所訪問(4日目)

朝9時にホテルのロビーで待っていると、プランの車でスタッフが2名やってきた。
スポンサーの応接を担当するのはタオさんという年配の男性で、もう一人は運転手。
タオさんは髪を後ろでくくった白髭の人物で、見かけはかなり胡散臭い。
まず向かったのはシーサケートのプラン事務所。
それは町の中心部から南に離れた住宅街の一角にあった。

コーヒーを飲みながら、ここでの活動について説明を聞く。
といっても、もっぱら英語による筆談である。
主な活動は以下のとおり。

1.IT教育(コンピュータ)
2.子供クラブ
3.飲料水の整備
4.トイレの設置
5.図書室の書籍充実
6.伝統音楽の楽器購入
7.教師と生徒のローカル・カリキュラム・トレーニング
8.???

7の中身はよくわからないし、8は英語自体が乱雑で読み取れない。
別に詳細を知る必要も無いので、ここはわかったふうに頷いておく。
具体的には現場で見てくれば良いわけで、紙の上の活動目標に時間と手間をかけることもない、というか、面倒くさい。
この数年でタイの事務所が次々と撤退していく中、ここでの撤退へのスケジュールがどうなっているかも尋ねたが、シーサケートではまだまだやるべきことが多いとのことだった。
今のところ、撤退を視野に入れた活動というのはあまりなさそうで、それはそれで喜ぶべきか悲しむべきか、、、。
一息ついたところで、再び車に乗って、いよいよ新チャイルドの家へと向かう。

2008-08-13

ホテルの電源に細工(3日目)

シーサケートのホテルには、なんとか日付が替わる前に到着。
朝2時に起きて飛行機に2回乗り、自分の運転でもちょうど500キロを走ったことになる。

ホテルの客室の電源は、多くの場合、ルームキーを差し込むホルダーがスイッチになっていて、退室すると自動的に切れてしまう。
保安・省エネの観点からも、この仕掛けは十分理解できるのであるが、場合によっては非常に困ることがある。
使い切ったパソコンのバッテリーを室内で充電しているとき、食事に出ることすらできないわけである。
最近は、デジカメ、ビデオ、携帯電話と、充電池を使う機会が多くなった。
僕はビデオは持っていかないし、デジカメもあえて乾電池仕様のものを使っているが、パソコン以外にも携帯電話とPDAが充電式である。
カードキーが機械的にスイッチを押すタイプなら、クレジットカードより小ぶりのダミーカードを差しておいてやれば良い。
使用済みのテレカとか厚紙をはさみで切って、その場で作ることもできる。
面倒なのはキーホルダーに埋め込まれた磁石が、壁の電磁スイッチを操作する方式で、ここのホテルがそのタイプであった。
これをごまかすために、わざわざ磁石を持ち歩くのもどうかと思うが、実はGPSレシーバの外部アンテナが、車の屋根に取り付けられるように、裏面が磁石になっているのである。
ホテルの部屋に入ると、ルームキーを取り付けるホルダーに、このGPSアンテナを貼り付ける。
うまくいかないときは向きが悪いからなので、少し回転させてやる。
スイッチがきちんと入ったら念のためにセロテープで軽く固定してやれば万全である。
これで、レストランで食事中にも、ちゃんとパソコンは充電できるのだ。
もちろん、テレビ、エアコン、照明の電源を手動でちゃんとオフにしてから出かけるのは言うまでもない。

2008-08-12

雷雨の長距離ドライブ(3日目)

先生たちを待たせていたので、次男とはあまり長く話せなかったが、GPSに記録したので、来年は自力でここまで来られるだろう。
再び学校まで先生たちを送って、これで本日の訪問は全て完了である。
問題は今夜のホテルがここから200キロ以上先にあるということだが、走行予定の道路地図を電子マップから何枚にも分けて印刷してきているので大丈夫のはずだ。
ボラブーを午後7時に出発するというのも、当初からの予定とピッタリであるし、何よりこの日の訪問予定が全てクリアできたことで、ひょっとすると少し油断していたかもしれない。

最初の試練は学校を出てすぐにやってきた。
日が暮れて真っ暗になったところで、突然雨が降り出したのである。
しかも大きな雷鳴がひっきりなしに鳴っていて、非常に鬱陶しい。
ライトで見えるのは目の前の道路だけで、標識も何も全然見えない。
たちまち、走行中の道路が地図どおりであるかどうかに自信が持てなくなってしまったのだが、とにかく引き返すわけには行かないので、正しいと信じて走るしかないのである。
雷雨の中をなんとも心細い思いで走りぬけ、どうやら正しい幹線道路に出たらしいと思えた頃には雨も小降りになっていた。
次にやってきた問題はもっと重大である。
燃料が底をついてきたのだが、一向にガソリンスタンドが見つからないのである。
この車はデジタルの燃料計が壊れたらしく、外付けのアナログメーターがダッシュボードの上に貼り付けてある。
したがって、メーターの精度もわかったものではないのだ。
そのメーターでもしばらく前から針は「E」よりずっと下を指して止まっている。
つまり、今すぐ止まってしまってもおかしくない状態なのである。
幹線道路とはいっても街と街を結ぶ中間部はほとんど家も無い。
それでもガソリンスタンドが全然無いわけではないのだろうが、ここに至って大変なことに気がついてしまった。
つまり、午後9時にもなってしまっては、大抵のスタンドがすでに閉まっているのだということ。
ここは日本と違って、タイの田舎なのである。
大雨の中でも早めに給油しておくべきであった、と悔やんでも遅い。
エアコンも止め、アクセルも極力一定にして、ピリピリしながら何もない道を走り続ける。
おかげで、朝起きてから20時間が過ぎたが、眠気も吹っ飛んで居眠り運転の心配だけはしなくてすんだ。
そして、ようやく深夜営業の大きなスタンドを見つけることができたのである。

2008-08-06

次男宅無事訪問(3日目)

自転車の女性はどうやらここの先生らしい。
保育園へ子供を迎えにでも行ってたのだろう。
何か用事があって、もう一度子連れで学校へ来たらしい。
もう30秒ずれていたら、無人の学校をさっさと出て行ってしまうところだったので、この遭遇は非常にラッキーだった。
奨学生に会いに来たということを話していると、もう一人女の先生が帰ってきた。
残業でもあって、それぞれで夕食に出ていたのかもしれない。
さらに幸運だったのは、この先生が昨年ずっと対応してくれた先生だったこと。
僕のことを覚えていてくれて、今から次男の家まで同行してくれると言う。
その後学校へ戻ってきた男子生徒と男先生、合わせて3人を車に乗せ、次男の家に向かった。
男子生徒は道案内に徴用されたらしい。
他に生徒は見かけなかったので、彼がなぜ学校にいたのかはわからないが、お気の毒である。

5年前に家を訪ねたときは、たまたま出会ったプラン・タイランドのスタッフが連れて行ってくれた上に、日も暮れて真っ暗だったことから、道をまったく覚えていなかったのである。
その翌年、自力で再訪しようとして失敗、以後はもっぱら学校で会うだけだった。
5年ぶりの次男の家は確かに見覚えがあった。
次男は出かけていて留守だったが、祖母と兄嫁、その息子がいた。
今回初めて知ったのは、父親がすでに亡くなっているということ。
以前、兄が交通事故で亡くなったと聞いていたのだが、もう一人いたのか、あるいは兄ではなく父親のことだったのかもしれない。
少し暗くなりかける頃、ようやく次男が帰ってきた。

2008-08-02

ボラブーへ(3日目)

プーウィエンの町を出るとき、プランの事務所があった建物を遠目に見たが、閉まっていて表示も無かったので、そのまま通り過ぎる。
コンケーン空港を出てから約3時間、120キロを走って3人に会い、プーウィエンはもう回りつくした。
次はマハサラカムの次男である。
コンケーンの街中を抜けていけばエリーの家へ立ち寄れるが、今回は時間節約のため市街を迂回するバイパスを通ってコンケーンを抜けることにする。
エリーはオーストラリアへ留学中で留守のはずだから、逆にふんぎりがつけやすい。
彼女の家族は今日にも僕が来ると思っているはずだが、挨拶はイサーンを一周して再びコンケーンへ戻ってからにさせてもらう。
しばらく南下する国道2号は交通検問を頻繁にやっているので、スピードには特に注意しなければならない。
それでも、コンケーンからマハサラカムのボラブーまで、ほとんど整備された道のうえ、信号も少ないので、ほぼ予定通りの時間で到着するはずである。
距離は約170キロだから、午後3時45分にプーウィエンを出て、平均時速70キロなら6時過ぎには着くはずである。
午後6時ならまだ明るいから、おそらくグラウンドでサッカーなどやっているだろう。
もしいれば、そこで次男をつかまえて、家まで一緒に行くという計画である。
仮に次男が帰宅した後であっても、学校でなら家を教えてもらうのも容易なはずだ。
この学校へは4回目になるだろうか、迷うこともなく到着した。
ところが校門が半分閉まっていて、中へ入ってみると、グラウンドに生徒の姿がまったく無い。
さらに奥の校舎まで行っても、自転車も先生のバイクや車も見当たらない。
どうやら下校時刻は過ぎてしまっているようだ。
次男の家を単独で探すとなると、どれだけ時間がかかるか分からない。
来年は卒業のはずなので、どうしても会っておきたかったのであるが、どうやら無理か?
と、そこへ、小さな女の子を後ろに乗せた自転車の女性が裏門から入ってきた。