訪チャイ雑記

プラン・インターナショナルなどの援助事業を通じて知り合ったタイの子供たちを訪ね歩くチャイルド訪問旅行。その際の出来事などを書きなぐった、あくまで個人的な覚え書きです。万一、同志の参考にでもなれば嬉しいですが、責任はとれません。 質問等もコメントでご遠慮なくどうぞ。

2010-05-25

訪タイ、リセット

タイ航空からまたも連絡があって、ついに予約済みの大阪-バンコク便までが欠航になったという。
別便に切り替えると、早朝到着予定だったものが夜到着になってしまう。
宿泊日数は変わらないのに、活動時間は丸一日減ってしまうのである。
前日の便に振り替えることも可能だといわれたが、これ以上休暇を伸ばすこともできない。
結局、スケジュールを再考することになってしまった。

現チャイ訪問がキャンセルになっているので、そのあたりを見直せば何とかなるかもしれない。
とはいっても、昼間の移動を夜間におこなうなどして、時間を捻出しなければならないのである。
つまり、睡眠時間を削って車を走らせるということ。
日程をどんなに見直しても、学校訪問は平日にしなければならない。
最初に向かう場所を北部ではなく東北部にすることで、曜日の問題は解決するが、飛行機の乗り継ぎ時間は増してしまう。
まったく、どうなることやら。

2010-05-20

長女、引っ越し

チャイルドがバンコクに行ってしまったことから、シーサケートのコミュニティ訪問はキャンセルになってしまった。
しかし、シーサケートの町には、もう一人、コンケーンから出稼ぎにきた長女が住んでいる。
どうしてもシーサケートには行くことになるので、これまでのお礼かたがた、プランの事務所にも立ち寄らせてもらうことにして、了承を得た。
そのシーサケートにいるはずの長女から、久しぶりにメールが届いた。
あろうことか、シーサケートからバンコクに引っ越したというのである。
じゃあ、シーサケートには、事務所に顔を出すためだけに向かうことになるのか?

それにしても、現在バンコクとその周辺には、
コンケーンから長女、
ランプーンから次女、
サコンナコンから三女と四女、
シーサケートから七女、
と、女の子ばかり5人も移り住んだことになる。
長女の住まいは今のところ、バンコクのどの辺りかもわからない。
現役チャイルドの七女は面会が禁止されているわけだが、連日死傷者が出ている今のバンコクで、他の子たちに会うために動き回ることには、そうとうな難儀が予想される。
ともあれ、こうなったらバンコクも避けるわけにはいかなくなった。
ということで、今年のマイレージの特典はホテル宿泊券に換え、バンコクのホテルに予約を入れた。

2010-05-14

スケジュール変更

航空会社からの連絡が相次いでいる。
最初は大阪-バンコク便の機材が変更になったので、座席番号が変わるというもの。
次いでバンコク-チェンマイ便が欠航になったので、一便遅らせるというもの。
席が替わるくらいはなんでもないが、国内線で一便遅れるのは痛い。
バンコクの騒乱で観光客が減っていることから、減便になっているのかもしれない。
今後、これ以上の変更が無ければいいけど、、、とか言ってるうちに、またもバンコクで銃撃戦。
総選挙の日程は反古になり、非常事態宣言が全国に拡大されてきた。
コンケーン、ウドン、チェンマイ、シーサケート、チョンブリなど、訪問予定地も含まれている。
この先6日間の航空チケットは、手数料無しで払い戻しに応じるとの告知も出た。
出発まであとちょうど1ヶ月。
はたして、どうなることやら。

2010-05-01

訪問中止

プランからメールが届いた。
今回のコミュニティ訪問はできないとのこと。
理由は、チャイルドである七女が中学を卒業し、バンコクで働くことになったから。
一時帰省していたものの、プランのスタッフが訪ねていった前日に、再びバンコクへ帰ったんだそうな。
18歳にはなっていないので、半年間ようすを見た後、戻る可能性が無いことを確かめた上で「登録終了」になるらしい。
スタッフの立ち会えないバンコクでの面会は禁止である旨も書き添えられている。

てっきり地元の高校へは行ってくれると思っていたので油断した。
中卒で上京することは、地元の人間が思っているより100倍危険なのである。
学校の先生と一緒に説得して、思いとどまらせたのは四女だった。
長女と次女は18歳で上京したが、プランのスタッフが「夜の仕事」に就かないかを非常に心配していた。
田舎には仕事がないが、都会にはある。
賃金の格差も大きい。
いずれにせよ、多くの人が地方から都市へ出て行かなければならないのであるが、そこに「都会への憧れ」があるからやっかいなのである。
本人は上昇志向のつもりかもしれないが、世の中そんなに甘くない。
できればさっさと挫折して、実家に逃げ帰ってもらいたいくらいだ。
都会へ出るのは、もう少し分別をつけてからでも遅くないと思うのだが。
そういえば、七女の卒業した小学校へは毎年訪ねていってたけど、中学へは行ったことが無かった。
中学の先生から話を聞く機会を持たなかったことが悔やまれる。